Elvin Bishop Story Alligator Tales vol.28 06-11-11 SAT. | この BLUES Diary としちゃ滅多にない(ゼロじゃないよん)ことだけど、今日の主役は California 州 Los Angeles 近郊の Glendale 生まれの白人だ(!) そして少年期を過ごした Iowa ではあまり環境は整備されてなかったらしく、電気すら来ていなかった「ド田舎」で、農園での作業に従事していた彼の家族は、彼が 10 才のときにそっから Oklahoma 州 Tulsa に引っ越し。 いくつかの Biography ではそのせいか彼の出生地を Tulsa, Oklahoma としている⋯ と、これだけで誰のこったか判るひともなかにゃあいるでしょね。 え?次は Alligator AL-4767 だから判るって? ちっ⋯ そ!Big Fun の Elvin Bishop だよ! いつも読んでいただいてる方ならとっくに見限っておるこってしょうが、ワタクシ、ふつーとはちゃう(逆の?)意味で人種差別ばっかしてますから、白人でブルースやってる、なんてのはすべてカタカナ表記にして「軽んじておる」のですが、この Elvin Bishop くんは例外でございます。 なんでか、ってえと、ま、説明すると長くなるし、ケッキョクは「好き嫌い」の問題でございますから理屈じゃないワケで、そんなゴタクはみなさまも聞きたくもないでしょうからトバしちゃいますが、ともかくワタシにとっちゃあ、彼のは「ブルース」なんですっ! ヒトコトで言えば「お人柄」、これですねえ。 Pig boy、Hog⋯こんな形容詞が周辺にまとわりつく Elvin Bishop ですからねえ。「シンケーシツに眉を寄せてブルースをやってるつもり」なんかにゃならないのよねー。そこら「キモ」でっせ。判りまっか? ま、同じよに白人でありながら、ワタクシがちゃんと英字で表記する Amos Garrett ちゃんも似たとこがありますけど、なんせそっちは「もーちょっと」インテリなもんで、おとぼけやらおふざけにも、ひとつシニカルな目線が入っております。 てなことはともかく、この Elvin Bishop くん、1942 年の 10月21日生まれですから、ワタクシよりも年上なんですねえ。それを「くん」づけとはちとシツレーいたしました。でも、なんかイメージが「くん」なんですよねー。ヘンな神話なんかがつきまとってないから、とっても親近感があるんでしょ、きっと。 さて、Tulsa では Ray Charles のライヴ・ステージを見に行ったときの光景を彼は語っています。 1952 年当時の Tulsa じゃ「人種差別」は当たり前だった。 Oklahoma でも南部諸州と違っちゃいなかったんだよ。 Ray Charles の会場は長いロープで二つに仕切られてて、白人席と黒人席になってたなあ。 でも電波じゃ仕切るワケにはいかなかった。放送ではロックンロールが台頭してきて、そこじゃ Chuck Berry、Fats Domino、Little Richard だって「白人の」放送局から流されてたんだ。 そんな彼に一大転機をもたらしたのが Nashville の WLAC から聞こえて来た Jimmy Reed の Honest I Do だったらしいのです。 そう!本日の AL-4767、Big Fun にも収録され、いっきなりのあのギターでワタクシ、ハラを抱えて笑い転げておりましたが、これこそ、そのよーな彼の人生を変えた一曲だったワケなんですよ。 そして彼がボーリング場のキッチンでアルバイトを始めた時、同じ職場にいてラジオを持ち込んでしょっちゅうブルースを流していた二人の黒人、Henry と Marvin ってのが彼に「どの局を聴き」「どこでレコードを買ったらいいか」を教えてくれたのだそう。 そんな環境にいた必然でしょうか、彼は質屋からギターを買い、そのやたら弦高のあるギターに苦労しながらも練習にハゲむ⋯ 1959 年に、彼は奨学金交付の審査に合格し、さて、どこの大学を選ぶか?という時点で「やはり」Chicago を選択したのでした。 そりゃ University of Chicago しかないでしょ。 あそこなら周囲は黒人たちの街だし、ならブルースだらけじゃん!って。 その彼の選択が正しかったのか、University of Chicago のカフェテリアで働いていた黒人たちと知り合います。そして彼らの案内でサウスサイドのクラブを渡り歩き、そこではマディ、Little Walter、Howlin' Wolf、Hound Dog Taylor、Otis Rush、Junior Wells、Buddy Guy、Magic Sam、Bobby King、Eddie King、Little Smokey、Big Smokey さらに無名のブルースマンもどっちゃり聴いて、まさにブルースの「特待生」ですよねえ。 もちろん、黒人とばかり遊んでいたワケではなく、ポール・バターフィールドとの交遊も始まっています。しかし、もっとも重要な交流は Little Smokey Smothers とのものだったでしょう。 Little Smokey Smothers は真っ先にリズム・パートを教えてくれた。 う〜ん!そうなんですよねー。いっちばん重要なのはリズムをちゃんととれること。これが判ってない「自称ブルース・ギタリスト」のなんと多いことか! でも、彼が Little Smokey Smothers から教わったのは、ギターの弾き方だけじゃなかったんですよ。 ちょっとおーげさに言うと、いかにブルースマンは生きるべきか、てな人生哲学(?)までが叩き込まれた、と。 さらに彼は Otis Rush とも知り合い、そこからも多くのことを学んだようです。 そのような彼の「ブルース学(?)」が深化するとともに、本来の学業であったハズの University of Chicago で専攻した「物理学」は、もちろん先細りとなるワケで、入学して二年後、ついに大学側との見解の相違(?)は決定的なものとなり、ミゴトにドロップ・アウトしちゃったのでした。 ⋯というところで、お時間でございます。 Elvin Bishop Story(って、いつからそーなったん?)続きはまた明日! 雨のなか、いつも通る黒石から十和田湖に向かう国道の左手の小高いところに、並行して走っているような道路があるらしい、とガードレールが見えることから気付いてはおったのです。 雨でけぶる遠景を、そこからならキレイに捉えらえるかもしれない、と、やっと入り口を見つけて上がってみました。 舗装された区間ばかりではなく、さらに向こうには未舗装で続いていましたが、ま、撮影にはそんなとこまで行く必要はないので、そのうちマウンテンバイクでタンケンしてみよっと。 |
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No.1664