Elvin Bishop Story II

Alligator Tales vol.29


06-11-12 SUN.




University of Chicago での勉学の日々は終わりを告げてしまったものの、Elvin Bishop がそもそもシカゴで学びたい、と願っていた本来の目的、「 Blues 」の分野ではますますハゲみがつく状態となります。
毎晩、クラブに入りびたり、スキあらば混ぜてもらい、最前線を経験するワケですから、その意味ではものスゴく充実していたことでしょう。
でも一方では、製鉄所など(ここ、判りますか?「など」。つまりその製鉄所の仕事も正規従業員ではなく、「臨時工」あるいはもっと下の単純労働のパートタイマーなんですよね)で「ときどき」収入はあったものの、ド貧民だったことも確かなようで、日に缶詰の豆のスープ一缶、寝るのは放棄された廃ビルで、なんて生活までしていたそうでございますよ。
実際、夜毎クラブで演奏にいそしみ、日中は仕事、なんて言っても、ほぼ寝不足で「シビアな仕事」は出来なかったでしょから、どしたってあまりペイの高くない雑役しかなかったのかもしれません⋯

それでも日曜ごとに出かけて行く Maxwell Street は「楽しみ」だったようです。
なんたって、そこでは他のミュージシャンの演奏も見られ、ときには一緒に演奏して交流し、さらに自分でもギター・ケースを投げ銭受けにして聴衆からのチップで「多少の」稼ぎにはなったのですから。
そのような「音楽だけが大事だった。他のことはどうでも良かった」という日々を通じてかれは J.T. Brown、Junior Wells、そして Hound Dog Taylor などとも共演してチカラをつけていったのでしょう。
ま、ここらが同じ白人でも「良家の子女」なんぞじゃない(?)、かと言って「プア・ホワイト」ってのともちょっとちゃう、ま、強いて言えば「おバカ・ホワイト(?)」てな Elvin Bishop の面目躍如ってとこでしょうねえ。
あ、ここで言う「おバカ」ってのは、判っていただけると思いますが、彼に対する「賛辞」として使ってますのでヘンな揚げ足とりはヤメてね。
そうして体内ブルース濃度がドたっぷり上昇したところでポール・バターフィールドのバンドに参加します。
メンバーはベースに Jerome Arnold、ドラム Sam Lay。
そこに Elektra Records のプロデューサー Paul Rothchild の意向でマイケル・ブルームフィールドも加わる訳ですが、なんとそいつは Elvin Bishop が以前、ギターを探して入った質屋のカウンターで接客してくれた相手でした(叔父さんの質屋を手伝ってたらしい)。

このバンドがオルガンのマーク・ナフタリンも加えてアルバムを作ったのが 1965 年で、そのアルバムによって多くのロック・ファンがブルースを意識するようになった、と言われておりますねえ。
実際、ワタクシのまわりでも、ブルースってえとこのアルバムを持ち出す、なんてえのも何人かはおりますよ。
ま、ワタクシは幸運にもこのアルバムと出会うことはなく、真っ先に「ホンモノの」ブルースを充分に聴いた後でこれを知ったもんで「汚染」されずに済みました。
いくら Elvin Bishop がいるからと言って、それで全部が良くなるワケじゃありませんからねえ⋯なんちて、こんなことばっか言ってるから嫌われるんですけどね、あははは。
その後もこのバンドでのアルバムは続き、なかには彼の愛称(?)からタイトルが出来たとされる The Resurrection of Pigboy Crabshaw( 1967 )なんてのもあって、まあ、順調だった、と。

そのバンドのツアーで、1967 年に San Francisco を訪れた Elvin Bishop は、そこがすっかり気に入ってしまい、結局、ベイ・エリアに移り住むことになります。

まず、そこの人たちがいいね。で、気候もいい。そしてなんたって、しょっちゅう背後を気にしてなくてもいい、ってのが嬉しいよ。

この「後ろを気にしなくていい」ってのは、やはりシカゴの方が「荒んでいる」ことの現れなんでしょね。
そのころの San Francisco では Keystone Korner の Monday Night Jam が近隣の、あるいは同地を訪れたブルースマンたちを惹き寄せてて、そこでは Albert Collins、Clarence "Gatemouth" Brown、Clifton Chenier、Luther Tucker などから Santana までが足跡を残しておりますから、もちろん Elvin Bishop がここに出没しないワケはありません。
そこら詳しくは語られておりませんので定かではないけれど、おそらくこの店での演奏を介してだと思うのですが Bill Graham に認められ、その Filmore Records の専属として初のリーダー・アルバム Elvin Bishop Group を 1969 年に、続いて Feel It! を 1970 年にリリースしています。
そっからは 1972 年の Rock My Soul を Epic から、ディッキー・ベッツと共に Capricorn から Let It Flow ( 1974 )、同じく Juke Joint Jump を 1975 年に、とトバして行きますが、そんな中、1976 年にリリースしたアルバム Struttin' My Stuff に収録された Fooled Around and Fell in Love が大ヒット!
ま、ワタシとしちゃあ、このアルバムでは、あのハチャメチャな My Girl がだ〜い好きなんですが、ブラザー系(?)にはウケが悪いようで⋯
Capricorn ではこの後さらに三枚、Hometown Boy Makes Good! 、Raisin' Hell 、Hog Heaven をリリースしています。
そして 1980 年代、彼自身の言葉を借りれば

みんなに楽しんでもらえるように、あ、でもホントは自分がイチバン楽しんでたかな?

というツアーの生活だったようで(その間 1981 年にドイツのレーベルからリリースした Is You Is or Is You Ain't My Baby を除けば)スタジオよりロードでの生活を選択したのでした。
やがて The Elvin Bishop Group も解散した彼は 1988 年の Alligator まで、ちょっとした小休止に入る、と⋯

うわあ、やっと Alligator に辿り着きますねえ!でもきょーはここまで。


いやあ、冷えましたねえ。気温 5℃くらいじゃないかなあ。
夕方なんてついにみぞれ混じり、てな感じでしたから。


でも、実はけっこう変化のハゲしい天気で、こんなふうに急に晴れて陽が射して来たかと思うと 15分くらいでまたパラつきだすんですよ。
まわりも明るくなったり暗くなったり⋯

ところで、なんと青森県内の S.N.S. があるのを発見いたしました。
もしかしてワタシの知らない蕎麦屋などの美味しいとこが紹介されてるかも!とさっそく入ってみたら、れれれ、せいぜい青森市のラーメンはどこがウマい?なんてスレッドがある程度。
ちょっと拍子抜けですねえ。ま、タダだからいーけど⋯

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