Robert Fargo Greenlee Jr.

Alligator Tales vol.33


06-11-16 THU.




ここんとこヨケーな寄り道ばっかしてて⋯と書いたのはつい昨日のことでしたが、まったくハンセーの色も無く、今日も今日とてまた支線に迷い込むワタクシ⋯

いえね、こーしょっちゅう出て来られたんじゃ、こちとらとしてもちと気になるっつーもんじゃないの。え?なにが、って?
ここんとこ続いてるフロリダ録音のベーシストでかつプロデューサーである Bob Greenlee ですがな!
で、ちょっと調べてみたんですよ。
そしたら、もう 2 年前に 59 才で亡くなってたんですねえ。

ハッキリと生年月日および出生地を記した資料には到達出来なかったんですが、Robert Fargo Greenlee Jr. は、どうやら 1944 年11月19日に Florida 州 Daytona Beach で生まれたようです。ただ、ある資料では「シカゴからフロリダに来た彼は⋯」って表現があって、それを信じるとすると出生地はシカゴで南に移住して来た、てなふうにとれますね。
ただ大半の資料では「 Daytona っ子の」なんて表現がされております。ま、まだ幼いうちに来てるんだったら心情的には Daytona ネイティヴみたいなもんかもしれませんが。
そこで成長する彼に大きな影響を与えたのは Nashville からの WLAC(お〜っとぉ!記憶力のいい方なら覚えておられるでしょか?つい先日の Elvin Bishop くんとこでも出て来てましたよねえ!そ、あの Jimmy Reed の Honest I Do が流れて来て、彼の人生を変えてしまった局でございますよ)の放送だったそうでございます。

「 Surf meets Soul( by http://williamvandyke.com )」っちゅう当時の Daytona の音楽シーンの中で育った彼は Sea Breeze High School(ぐひゃあ!ガッコの名前とは思えんカッコ良さ!)在学中にベースとヴォーカルを始めているようですが、一緒にやってるひとの名前でどんな音楽か判る、ってえ博識な方もおられるんでしょうが、ワタクシにとっちゃあ、いずれも始めて聞くよなお名前ばかりで、さっぱ判りません。
いわく、Peter Carr やら Jim Shepley、Floyd Miles に Duane と Gregg っちゅう兄弟っての⋯

と、ジョーダンはともかく、そんな連中が入り乱れて出来てたらしいバンド、The Pearl Notes、The Houserockers なんてので Daytona 周辺の店に出演していたもののようでございます。
ただ、当時の彼は意外と堅実な考えを持っていたものか、それ以上、音楽に深入りすることはなく、ノース・キャロライナ州 Ashville のプレップ・スクール(名門の総称である「アイヴィー・リーグ」に含まれる有名大学に入学するための準備学校。予備校ではない)を経て名門、Yale 大学に進学し、そこで法律も専攻してますから、まあエリートまっしぐら、っちゅう、そのままで行くと白人社会の中でもさらに上位に位置するハイアラーキィに属する、てな勢いだったワケで。
そして Yale 在学中にはカレッジ・フットボール(ここはモチロン言うまでもないことですが「アメリカン・フットボール」ね。間違ってもサッカーなんぞやるワケはない!)でキャプテンを務め、ドラフトではマイアミ・ドルフィンズに 4 位で指名( 1967 年 )されるほどだったのですが、そこでナゼかプロ・スポーツ選手、という「未来」を投げ捨て、音楽に「戻る」道を選んだのでした。

ワタクシが探し当てた資料では、そこらのいきさつ、っつうか、彼の心の動きについて触れた資料は皆無であるため、音楽を志向したがための「転回」だったのか、あるいは別な理由からスポーツ、あるいは法曹界進出を断念した「後」に音楽へ漂着したのか、は「まったく不明」でございます。
1970 年代に入ってから、彼はロー・スクールで一緒だった Washington D.C. の Foster McKenzie III と再会するのですが、なんと相手は Root Boy Slim と名乗って自らのパンク・ブルース(ってどんなんじゃ?)バンド、The Sex Change Band を率いて演奏活動をしていました。
Bob Greenlee はこれに加わり、遠くイギリス・ツアーにまで同行しております。
その活動とは別に、1980 年代に彼はフロリダの祖父の家のガレージを改装してスタジオを作り上げ、そこで King Snake Records を設立したのでした。
そしてそこからは数々の録音が送り出されることになるワケですが、そこでレコーディング・セッションをサポートするバック・バンドとして(あるいはバック・バンドでもあった、か?)結成されたのが、もちろん彼自身がベーシストとして在籍する the Midnight Creepers です。
Alligator に提供した録音で名前が出てくるギターの Ernie Lancaster やサックスの Noble Watts などがメンバーとして主にブルース系の録音でそのクォリティを高める役割を果たしていた、と言ってよいでしょう。

Bob Greenlee はまた新たなタレント(ここでは本来の意味「資質」で)を見つけ出す努力も怠らなかったようで、あまり乗り気ではなかったらしい Kenny Neal を説得するために Baton Rouge に現れ、Kenny によれば「彼は、オレが自分で思ってる以上にイイものを持っているんだから、自信を持て、と言ってくれたのさ、それはもう熱心に」⋯こうして生まれたのが Kenny Neal の Big News from Baton Rouge でした。
そのような新人の発掘のみならず、復活させたいブルースマンや、違った光を当ててみたい才能など、まさにレーベル・オーナーの感覚をメインにして Rufus Thomas、Lucky Peterson、Raful Neal、Sonny Rhodes などをはじめとする、およそ 100 枚ほどのアルバムの録音を世に送り出すこととなったのです。
ただし、1990 年代末あたりから彼の健康には影が差し始め、ついに 2004 年 2 月12日、膵臓癌により、彼は帰らぬひととなりました。このときの彼はまだ 59 才。最後の日々は自宅で最愛の妻 Sonja と送っていた、と言われています。

というワケで、こんな調子じゃいったいいつまでかかるもんだか、またまた今日も本筋から離れたおハナシで終わっちゃいましたねえ。
ま、なんたって King Snake でございますから、これがホントの「蛇足」ってヤツで⋯
ケイジさんに笑われるかな?



今日は「ぷ」さんと一緒に夕食!迷わず田澤食堂なんですが、迷うのはそっから!
ラーメンもいいしカレーチャーハンもいいなあ、でも五目焼きそばも捨て難い⋯なんてうだうだとモメるっちゅうワケ。
で、本日は結局ふたりで三品、つまり五目焼きそば、玉子丼、そして塩中華、と決定いたしました。もちろん塩中華は「ぷ」さんのリクエストです。

ま、なんだかんだ言っても、決まった組み合わせみたいのがありまして、もっともベーシックなのが「小中華&チャーハン」ってセットです。でなきゃ「中華&おにぎり」かな。で、そのチャーハンがアレンジされてカレー・チャーハン(ドライ・カレーみたいのじゃなく、ふつーに作ったチャーハンにカレーをかけてある!これがもう⋯)になると、カップリングは「冷やしタヌキ」!夏はそうめん、冬はうどん(でも「冷やし」!)となります。
一方じゃ焼きそば&玉子丼ってのも最近は定着してきてますねえ。

そしてときどき突発的に喰いたくなるのが「肉うどん」や「カレーうどん」でございます。それだと、プラスおにぎり、ってパターンが多いかな?
で、いっつもメニューを見るたびに気にはなるんだけど、やっぱちゃうもんを頼んじゃう、ってのが野菜炒め定食ってのと、肉野菜炒め定食。
う〜ん、一度は頼んでみたいよな気もするけど、そゆのは自分でも作れるし、しかももっと自分流にアレンジして楽しんでるからなあ⋯
やはり「食堂」では食堂なりゃこそ(?)の単品メニューがイノチでございましょう。

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