Long John Hunter

Alligator Tales vol.62


06-12-15 FRI.




ようやくこっからは 20 世紀の最後の 5 年間に入ります。
その 1996 年の最初を飾るのは、これまたワタクシにとっては、その名前こそ知ってるものの、なんどか聴いた彼の音にはあまり強い印象が無く、別に「イヤだ」とかゆうところも無いかわり、ああ、いい曲だなあ!これ自分でもやってみよか?なんてゆーこともゼロ!っちゅう存在でした。
その AL-4839、Long John Hunter の Border Town Legend ですが、Alligator の Biography では

Long John Hunter seemingly came out of nowhere...

ま、日本語でゆうとこの「どこからともなく現れた」ってヤツでしょか、そのよーに始まっております。
もちろん、それは「音楽業界」として見れば、いきなり 65 歳(!)の新人(!!)が突然デビューしたワケですから、そのような表現になるのも無理はないところでしょう。

この John Thurman Hunter は 1931 年 7 月13日に Louisiana 州 Ringold で生まれ、ただしおそらく 8 才のころと思われますが Arkansan 州の農園に移り、以来、24 才になるまで、そこで週に七日、朝から晩まで農作業に勤しみ、またまわりにもなんの楽しみも無い生活を送っていた、とインタビューでは語っています。
それによると彼の父は少しばかり( Lightnin' Hopkins みたいな)ギターを弾いたようで、ただ、その時はそれが彼自身にあまり影響を与えていないようです。当時は音楽といえば放送で流れてくる C&W が圧倒的で、Blue Moon over( of じゃなかったっけ?)Kentucky なんて曲を歌っていた、と。
ただしインタビューでは、ギターは自習した(ほとんど耳から覚えたものを)としているのですが、それが Arkansas の農園時代にすでに始めていたのか、あるいはそこを出てからのことだったのか、については言及しておりません。
ま、Arkansas では、父の弾くギターとラジオ以外、まったく音楽には触れていなかった、という発言はありますから、それ以降のことではないか、と思うのですが。
しかし、本人は 24 才のときに農園を出た、としていますが、一部の資料では、彼が Texas 州 Beaumont(およそ Houston から 2 時の方向に 100km 弱はなれた Louisiana との「州境」に近い町)に来たのを 1947 年としています。それが正しいとすると 16 才で家を出たことになり、だいぶハナシが違いますねえ。そしてそこから彼のギターのキャリアが始まったのだ、と。
真相ははたしてどうだったのか(何度も言っておりますが、ワタクシ、Screamin' Jay Hawkins 後遺症のせいで、「本人がそう言ってる」なんてのを「はいはい」と素直には信じられない、っちゅーカラダになってしまったのでございますよ)多少は気になるところですが、まあ、はっきり言って、そこらはどっちでも彼の音楽性にとっちゃ、さほど重要ではないかも、っちゅう気もしますね。
ま、Alligator の Biography ではまたちょっと違ってて、ギターを始めたのが 22才のときから、としています。

で、なにはともあれ、1954 年のこと、なにやら Texas box factory っちゅうから製函工場に勤めていたんでしょか、Beaumont には 1949 年に出てきて、その工場での同僚であった Erving Charles* に連れられて、これも Beaumont の Raven Club に行き、そこで観た B.B. の演奏に衝撃を受け(?)二人はバンドを結成しています。
ドラムには Charles の義兄弟の Roy Stelly を迎え、住んでいたのが Beaumont の Hollywood 地区だったことから the Hollywood Bearcats と名乗り、そのヘンでは有名なバンドとなり、Phillip Walker や Guitar Junior こと Lonnie(ええ仕事しまっせ、ぐふふ)Brooks、そして Lonesome Sundown などとも交流しておりました。ただし Long John Hunter は Beaumont から Houston に出てしまい、バンドでは後釜にサックスの James Young を入れて、さらにそのグループ名も Charles Sheffield をヴォーカルに迎えて the Nite Riders(ただし James Young をフロントにしたときは Big Sambo and Prince Charles )と変えて活動を続けて行く⋯
どうやら Long John Hunter の音楽的なセンスはすぐさまそのへんでは注目されるようになったらしく、早くも同年には Duke でシングル盤を吹き込んでいます。
Crazy Baby と She Used To Be My Woman のカップリングで、それがそのまま全国的なヒットにまでは至りませんでしたが、その売れ行きは、「音楽で喰っていく」ことを決意させるには充分な程度ではあったようで、1957 年には彼はさらにいきなり 1300kmも西(実際には Houston からは 10 時の方向になる)に向かって Texas 州 El Paso に移り住み、国境を超えて Mexico の町 Juarez の Lobby Bar に出演するようになり、本人が言うには「最初の 5 年間は毎週 7 日、次の 5 年は週 5 日演奏してた」
まあ、そこの客ときたら、「かなり」ものスゴいのばっかりだったようですが、そんな場で「鍛え」られたんでしょかね。
そんな場で演奏をし続けていることでも有名になってきた彼は、活動の幅を広げ(?)かなり多くのブルースマンのオープニング・アクトを努めたり、共演したりもしているようで、インタビューでは特に Albert Collins と Clarence "Gatemouth" Brown の名前を出しておりました。

1961 年から 1963 年までの間に Long John Hunter は Yucca レーベルにシングルを録音しています。それらはいずれもローカル・ヒットの域を出なかったようですが、本人は Juarez にいるかぎり最恵待遇を受けて「王様(?)」でいられたワケですから、あまりがっついていなかったんでしょう。
しかしその Juarez での彼の王国は Lobby Bar の閉店によって終わりを告げ、彼はふたたび El Paso に帰ってきました。
そのあたりから Texas 州の西半分をメインとしたブルース・サーキットを回るようになり、1985 年には Boss レーベルに彼にとって初のアルバムを吹き込んでいるようですが、それのタイトルなどは不明です。
続いては Spindletop レーベルから 1993 年にリリースした Ride With Me、これが Rolling Stone 誌をはじめとする絶賛を浴び、一躍、彼は有名に⋯なりかけたとこで、なんとその Spindletop が倒産⋯

で、ケッキョク、彼が「まさに」世界に羽ばたくこととなったのが、実にこの AL-4839、Border Town Legend だった、というワケでございます。
あ、その前の Ride With Me もケッキョク後から Alligator によって再発されてはおるのですが。
⋯と、今日はこれだけで終わっちゃいましたねえ。
あ、そうそう、Long John Hunter においてかれた(?)Erving Charles ですが、その後 Barbara Lynn のサポートをしたり、ジョニー&エドガーのウィンターズをサポートしたりと結構カツヤクしておりますが、その活動はあくまで Beaumont に軸足を置いており、1997 年の Blues Estafette ではかっての仲間だった Long John Hunter、Lonnie(ええ仕事しまっせ)Brooks、PHillip Walker らと再結集しております。

* ─ Erving Charles; 1932年、Louisiana 州 Port Barre で生まれる。父はザディコのアコーディオン・プレイヤーで、そのためか、最初はラブボード奏者だった。
10才のときにギターを買ってもらい、以後ギターに専念する。
自身のリーダーアルバムも Red Drum Production から出ている(らしい)。



今日もいい天気!
気温は 8度、と街頭の情報掲示板が表示しておりました。
素手で走ってると手が冷たいのですが、それでも背中はやや汗ばんで⋯

今年ものこすところ二週間、てなとこなんですが、この天気はいつまで続くのかな?
いえ、ワタシは一向に構わないんですが、ボーダーとか、スキーを楽しみにしてるひととかはだいぶ待ちくたびれてるんじゃないかなあ。
まあねー、降れば降ったで除雪の苦情が出るし、降らないとそれはそれでショーバイあがったり、なんてのが出てくる⋯
こうしてなんどか大きな振幅の揺り戻しとかを経ながら、やはり全体としちゃあ雪が少なくなってく、っちゅうのが基本的な傾向なんでしょか?

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