Charon Shemekia Copeland

Alligator Tales vol.72


06-12-25 MON




AL-4857、Turn the Heat Up は、なんだか、高く評価するひとが多い Shemekia Copeland です。
Shemekia Copeland、いえいえ、正確(?)には Charon Shemekia Copeland らしいのですが、普通、Charon Shemekia として有名になってしまった女性が Copeland 姓の男性と結婚した後も「連続性」を持たせるために使う、ってえケースがあります。
でも、もちろん、ここでは当てはまりませんよね?
あるいはたんなる洗礼名などのミドル・ネームなのでしょうか?
Shemekia というミドル・ネームがあるのかどうかについては、あまり詳しくはないため、なんとも言えませんが、その命名の由来はどうであれ、デビューに際し、Charon Copeland としなかったのはインパクトを持たせるためだったのか、はたまた種々の事情の為せることだったのか⋯

ともあれ彼女は 1979 年 4 月10日、New York の Harlem で生まれています。
そしてみなさまもうとっくにご存知のこととは思いますが、父は Johnny Copeland。
そのような家庭環境は「音楽」への心理的バリアーを低くすると思うのですが、幼い頃、本人は自分が音楽に携わるようになるとは思ってもいなかったようです。
それでもクラブから洩れてくる音楽、街のあちこちで見られる路上パフォーマンスやメディアを通じて流れこんでくるもの⋯そうして蓄積されて行くものは「ブルースだけ」でなぞあるワケがなく、彼女の中にはソウル・バラードから「バリバリの」ロックまでが注ぎ込まれていったのではないでしょうか。
彼女の出現に対して各メディアが挙げた賞賛の声は、そのへんをよく捉えている、と言うか、逆に、そのような多様なファクターを内包していたが故に広い範囲のメディアに「受けいれられた」と考えることも出来るかもしれません。
これが伝統的なブルースに凝り固まった新人のデビューだったら、ブルースに限定したメディアからは評価されるでしょうが、それは世界への広がりというものは持ち得ない⋯
だって Alligator だってショーバイですからね。それを受け取るマーケットは広いほうがいいに決まってる!

てなことはともかく、そんな彼女の音楽的可能性を父は見抜いて(?)いたらしく、まだ 8 才の彼女をハーレムの Cotton Club に連れて行き、ステージに上げて歌わせたりしていたそうです。もっとも、その頃の彼女は、それを別に得難い経験である、とは思ってもいなかったらしいのですが。
彼女が 15 か 16 才になったあたり(同時にそれは父である Johnny Copeland の健康に「影が差し」始めた時期でもあったらしいのですが)父のツアーに同行してオープニング・アクトを務めるようになり、それによって次第にその存在が知られるようになっていたようです。と同時に、その経験によって彼女の言う、「アタマのなかでスイッチが入った」ことで歌うことへの意欲が生まれたのかもしれません。
そしてやや体調の優れない父のショーの前座のハズが、時には「主役」となることもあったようで、そんなとき父はそのまま彼女のステージを思う存分に続けさせてくれたようです。
そしてついに彼女は Alligator からこのアルバム、AL-4857、Turn the Heat Up をリリースし、特に種々の音楽メディアから熱狂的な歓迎を受ける⋯
いまや彼女は自身の週一のラジオ番組( Shemekia Copeland's Blues Show。2006 年 4 月22日スタート)まで持つ「スター」となっています。

というのが彼女の荒削りなプロフィールと言ってよいと思うのですが、さて、ワタシにとってはどうか?ということで言うと、やはり男女にカンケーなく、自分では楽器を演奏しない「スタンダップ・シンガー」全般に対して感じる「違和感」はどうしても拭い難いものがあります。
もちろん、「シンガー」として、そのパワーにしろスキルにしろ「もの凄い」レヴェルであることは間違いありません。
ただ、なんたって基本がかなり「偏っている」ワタクシのイカレた水平感覚からすると、あまりブルースは感じない、というところでしょうか。

その歌は Valerie Wellington ほどには「技巧的に過ぎ」ず、もっとストレートでシンプルな位相を持って心に届いてくるような気がします。
特にそれはスローな Salt in My Wounds のようなナンバーでは、ベタつかないテクスチュアで適度な温度を保ち、曲の持つ世界をよく表現し得ていて、ほんと、年齢じゃないよなあ、とムダに齢を重ねておる自らをハゲしく反省する、てなもんでございますよ。
あと、早めな曲ではところどころ、ワタクシ言うところの「ここはリキ入れてまっせ〜」っちゅう意味の符号化してしまった「リキみ」が多用されるところなどは(それは、もちろん、この Shemekia Copeland ひとりに限ったことではなく、なんでか「ブルースを歌う」なんてガンバっちゃってるひとに多く見られることなのではございますが)、ん〜、ちょっと Valerie Wellington とはまた違う方向での(ある意味、無意識な?)技巧に走っているのではないか?っちゅう心配はあります。
もっとも、そんなことを心配してるのはおそらくワタクシ独りでございましょうから、んなもん気をつけなくたってリッパに「大歌手」にはなれると思いますが。

てなところで、ワタクシのソボクな疑問。
女性ブルース・シンガーって「デブでなきゃいけないの?」
ブルースに必要なのは「迫力」が最優先?
そりゃまあ、確かに見た目の存在感はありますよ。でも、それが歌われるブルースとどんなカンケーがあるんでしょ?
いつの日かガッリガリに痩せた、女性ブルース・シンガーって登場するんでしょうか?しかも自分でも楽器も弾いて歌うよな⋯って、実は思い当たるのはひとりいるんですが、まあ、そのひとの場合、もう見るからに「インテリ」過ぎる、っつうか、ブルースもその優れた頭脳で「理解」して歌ってる、てな感じを受けちゃうんですよねー。
え?誰か、って?まあ、待ちなはれ、そのうち出てきますがな。

しっかし Shemekia Copeland、この年でこの体躯!
先が思いやられ⋯うっぷす、た、楽しみですねえ。すっげえ大物になりそ⋯

あ、ところで今日って Eddie Taylor 師の命日だった。



もう眺めているだけで心までが晴れてくるような、ほんとうに「雲ひとつない」青空がプレゼントされました。
今年はもう走れないかな?なんて思っていた私には、これこそ最高の贈り物!
夏だったら、見ても別になんとも思わない、屋根の上に見えるありふれた設置物までが陽射しを浴びて輝いているのが、とりわけ美しく見えてしまいます。

おや、雪は?っていうと、はい、ちゃんとありますよ。ほら↓

家の近くで唯一の銀世界、小学校の校庭です。
うわあ、足跡ひとつ付いていませんよ!
こうゆうとこ見ると走り回りたくなりませんか?私だけ?
でも、こんなキレイな銀世界はそんなにあるワケじゃありません。その同じ午後の街なかはどんな状況か?といいますと・・・

いかがですか?画面左下の隅っこにちょっとだけ溶け残った雪が見えておりますが、こんな状態。
もちろん ROCK 4400 も嬉しそうでございます。
今日の気温はたぶん 10度くらい。指先の無いグラブではさすがにちょと冷たかったですが、それでも、陽を受けるととてもキモチがいい!

さて、さしものクリスマス攻撃(?)も本日で終了し、あのXX垂れワムのラスト・クリスマスなんぞ聞かされんで済むと思えばまことに喜ばしいのでございます。⋯が!もちろん後に控えしは「もう幾つ寝るとお正月」ってえヤツの「繰り返し再生」でしょ。
まあ、それで季節感を感じておる方もおられるようなんでいいんですが、もすこしなんとかならんのかねえ、あの店内 BGM っての。
もし全世界(まあ、特に「日本」かも?)で、一回 再生されるごとにきちんと著作権料が払われているとしたら、いまごろXX垂れワムは世界有数の大富豪になってるハズだよなあ。

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