State of Blues

Alligator Tales vol.73


06-12-26 TUE




トツゼン Ambient 系に走ってみたり、かと思うと「閑かなる猛毒(?)」Cowboy Junkies に耽り、はたまた懐かしの Blue Cheer なんて訪ねる「音生活」をしているワタクシからすれば、ここで聴ける様々な言語はどれも耳に馴染んだ、それだけにそれが表現したいものが有効な「芯」を持って伝わって来るのですが、純粋なブルース・マニアにとってはやたら「異臭」を放つ「外来のもの」でしかないのかもしれませんね。
⋯と言うのは、また登場する New York の Michael Hill's Blues Mob の新作(と言っても、1998 年の、ね)、New York State of Blues を聴いていて感じたことなのです。
いささかセンターがクルってるワタクシあたりからすると、この音楽は、「ああ、ほんとーにブルースが好きなんだろうなあ」ってな印象を受けるのですが、さて、どうなんでしょ? '50 年代、'60 年代のシカゴ・ブルースをハゲしく愛でている方々にとっては?
なんだか「論評にも価しない」てなことで門前払いとかされそうかな?
んなワケですから、伝統の守護神をもって任じておられる方にとっては、おそらく「耳の穢れ」でしかない可能性がございますので、どうか、お近づきにはなられませんよう、ご注意いただきたいと存じ上げます。

AL-4858、New York State of Blues ってのは、ちょっと変わったタイトルですよね。
普通なら Blues of New York State ─ ニューヨーク州のブルース、というタイトルが割と「ありそう」なんですが、それが逆、つまり「ブルースのニューヨーク州」なんですよねー。
そこら、Michael Hill 自身がライナーで語っておりますので、キョーミがおありの方はそちらをどうぞ。

さて、このアルバムでは、A Case Of The Blues と Living For The City では Michael Hill によるスライド・プレイが聴けます。
どちらもかなりブルース度は高い(カチガチのファンダメンタリストからはどう見えるか判りませんが)と思うのですが、もちろん、そこにはどことなく「異端の香り」が紛れ込んでおるような感じもするあたり、まさに期待どおり(?)でございます。
ただそれは Derk Trucks のような指板上のすべての位置を知り尽くした「全能感」に溢れたものではなく、もう少しスライドの「宿命」みたいなものの制約を楽しんでおる(?)ふうな別な次元を感じさせてくれます。
ま、そこらの制約のようなものを逆手にとって(?)ありえないフレーズを紡ぎ出す松田 文の、静かなのにある種、暴力的なまでの破天荒なスライド・ワークを Derek Trucks の対極に置くとすると、この Michael Hill は、やや Derek Trucks よりの「姿勢」かもしれません。
ただ、あくまでも「姿勢」であって、音はかなり違いますので、そこら誤解なされませんように。
もしかすると、このスライドを使った二曲が、案外「保守的な」ブルース・マニアにも受けいれられるギリギリの線なのかもしれませんね。
他の曲では、ロックやら、あるいはワタクシ自身、それについて詳しいワケではないので「気がする」てな程度ですが、ハウスであるとか、ブラック・コンテンポラリィやらアンビエントなど、実に多岐にわたるフラグメンツが随所にちりばめられ、そこらがあるいは「反発」を受ける原因になるかもしれないなあ、とは思います。ワタシも。
かってワタクシが iBook 内蔵の Garage Band で遊びながらイロイロこねくり回してるうちに出来(ちゃっ)た曲、High Above ってのがあるんですが、この Michael Hill の Anytime, Anywhere ってのが(こっちは歌が入ってるから大違いなんだけど)、そのバックの和音の扱い、音の密度など、なんだか似通っていて、ミョーに親近感が湧くじゃないの!
⋯なんて言ってる時点で、いかにもブルース離れしてそうだよね、あはは。

ま、れーせーに見れば、「こんなんブルースじゃない!」ってな突っ込みどころ満載で、いくらでも悪口こけそうな「サウンド」であることは確か。

お次もワタクシの個人的なプッシュが「あからさま」なアーティストでございます。
AL-4859 は Elvin Bishop で The Skin I'm In。
相変わらずな「くつろげる」フンイキで、そこに身を委ねておりますってえと、ココロの肩こり(?)がふにゃあ〜とほどけて行くよな感じ、ね。
ま、ちとユダンすると居眠りに落ちちゃうこともあるんですけど。
彼にしては(ってちょとシツレー?)珍しくアルバム・タイトルと個別の曲とでは、軽い「ひねり」があって、いわゆるタイトル・チューンと見えて、ビミョーに違う The Skin They're In ってナンバーが収録されてます。
スローなブーギてなリズムで意外とヘヴィな感じに仕上がっており、そこらも面白いですね。
ただ、全般に、ってことで言えば、「やはり!」の軽快さ、陽気さ、は持っているように思えます。
ま、これはちとワタクシの考え過ぎかもしれませんが、どことな〜く、そんな中でも、これまでにはあまり感じられなかった「翳り」のようなもの、あるいはその前兆、てなものが視界の隅をよぎったよな気がするのは、やはりワタクシの気のせーなんでしょうね。
それはむしろ Radio Boogie のような、これまでだったら底抜けに明るく仕上がってただろうタイプのナンバーで余計に感じられてなりません。
ワタクシ常々、歌う人間の声がその時の気分でどー変わるか?っての、とても気になっておりまして、これまでの彼の声が「屈託の無さ」で輝いていたのが、ここでは、そこに「くすみ」が入っている、という、まあ、重さ、というよりは「鈍さ」とでも言ったほうが当たってるような気もする「ジっとして動かないもの」の存在を感じてしまうんですよね。
もちろん彼自身がやがて迫り来る悲劇を知っていたハズは無いので、ワタクシの考え過ぎなのかもしれませんが⋯

さて、今年もまた何人かのブルース関係者が黄泉の国へと旅立たれました。
それも年末近くにかなり続きましたよね。
ただ、私個人としてもっとも喪失感が大きかったのは、1959 年にブルースの世界からは身を引き、バプティスト教会に生きることを選択し、1968 年の Little Walter の葬儀では司祭を務めた Rev. Uncle Johnny Williams です。
あの Johnny Young のマンドリンとコンビで吹き込んだ Ora Nelle の SP盤の素晴らしさ⋯ま、そりゃ、ワタシの喪失感ってのは、Maxwell Street を良く知る証言者がいなくなってしまった、っちゅう、きわめて自分の都合優先の利己的なもんなんですけどね。

そして Sleeping in the Ground の Sam Myers。ほんとうに眠っちゃいましたねえ。
さらに、ブルースマンじゃないんだけど、本国から遠く離れたアメリカでひとつの「帝国(?)」を築き上げることに成功した Ahmet Ertegun。
Ertegun とはトルコ語で「希望の溢れる未来に生きる」という意味でつけられた名字(どうやら自由につけられたらしい⋯)だそうです。
その Atlantic Records ゆかりのローリング・ストーンズのライヴで転倒してアタマを打ったのが原因で死亡したとか⋯

やはり寒い季節(どうもシカゴの冬は弘前なんかメじゃないくらい冷え込むらしい)に年寄りがばたばたと、てなことなんでしょか?
なんとかもう今年はこれくらいにして、みんな春まで生き延びてくれえ!



今日はちょっとだけ薄い雲が出ていますが、基本は青空。↑遠い八甲田の連峰も案外「白く」なってませんが去年もこんなものでしたっけ?なんだかもっと「ちゃんと」白かったような気がするけど、遡ってみても、同じころの画像じゃないんで比較できませんでした。


ただし太陽のある側に薄雲なので、陽射しもちょっとエネルギーに欠けてる感じかな?
でも、昨日より少し気温は下がったけど、じゅうぶんに「いい天気」、ROCK 4400 でモチロンいけます。
このままお正月まで行ったら面白いんだけど、でもそれだとスキー場は困っちゃうよね。

ふと見上げた空では薄雲のさらに上空に飛行機雲


相変わらず、このへんは北海道と羽田を結ぶ空路になってるらしく、気をつけていればスグに機影をハッケンできます。
最近、東京に行ってないなあ。

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