Friends of mine

02-10-04
いつも見に行く日記、というのがあって、まず、とめごろおさんの大曲からクラ日記、そしてエピちゃんのエピ日記ですね。それに最近はマディさんって人の「ブルースな出来事」も増えました。この最後のは思いついた時に書いている感じで、その「ポツンポツン」感?がまたいいんですが、まだ始まったばかりで、先が楽しみです。
エピちゃんのは、ココロの動きがキレイに現れていて、それを読んでいると、いつの間にか磨耗している自分の「鈍さ」に気付くことになります。
以前はとめごろおさんが弘前にいたので、彼のなにげない挙措が実に多くのサジェスチョンを与えてくれていたのですが、御存じのように、現在では大曲市にいるため、最近その役を果たしてくれているのがエピちゃんの日記なのです。
ハっとさせられたり、ハラハラさせられたり、笑かされたり、ホロリとさせられたり、「生きている事のあけすけな手触り」に満ちています。
ほんのちょっとした偶然(日記のタイトル「 Epiphone’s Diary」のエピフォーンという単語が・・・ )が無ければ、一生、お互いの存在も知らないままに、別な世界で完結していたかもしれなかったんですね。
今では(ずいぶん年下だけど)とめごろおさん、MACさん、よっすぃ〜、りっきーさんと同じく、大事なお友達です。

そのエピちゃんが、ワタシの日記の「コピー批判」を採り上げてくれてます。
エピちゃんも、初めは、山崎まさよしのコピーから始まったみたいなんですね。
でも、やはり完コピから、「自分化」へとゆっくり変化してきてるみたいですよ。
だって、山崎まさよし本人以外は「山崎まさよしじゃない」んだもの。それが自然なんだよね。いくら好きでも、いえ、好きだからこそ、そこに気がついたんじゃないでしょか?
オリジナルじゃなく、カバー曲を好むことにヒケメみたいなの感じてるようですが、ブルースは圧倒的にカバー曲の世界だし、それでもそのヒトの味が出せる(というか、むしろ、余計に味が出るんじゃないかなあ?)ってのが「ブルース」だろう、と思うんですよ。
オリジナル曲を持っていることはいい事だけど、だからってカバー曲を低く見るコトは無いですよね。
前「 Diva 」のタイトルで言ったと思いますが、世の中には、すでに素晴らしい曲がいっぱいあるし、それを「オリジナルじゃないから」という理由で歌わない、というのはもの凄〜くモッタイナイじゃない。
オリジナルは印税が入るから、ショーバイとしてはいいんだろけど、そうそう名曲に対抗できる程のオリジナルなんて連発できるもんじゃないしさ。
誰の曲だって、「いい」と思った曲は自分で歌ってみなきゃ。それも自分流で。

さて、いっぽうの「と〜め〜(copy by枝雀)」こととめごろおさん、日記でワタシとの喰いもの探しての「さすらいの日々」の一端を描いていますねえ。
そーなんですよ。前もって電話でやってるの確かめて行く、ってのが「分別あるオトナ」のするコトなんですが、どーもそれじゃあツマらない!行ってみて、「良かったあ、やってるよ!」って、あのヨロコビ。
閉まってたら、その時は、「ああ、今日はそういう日なんだなあ(ってどうゆう日?)」とイサギよく、ちゃうとこ目指して疾走する、あの愛と絶望の日々(なんちて、たかがラーメン屋が閉まってただけでこれですからねえ。なにが「愛」じゃ?)。
それが完全に彼にも染みついてしまってたなんて。嬉しいような申し訳ないような・・・
ま、案外しっくり(?)来てるようだから、良しとしよ。
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