Only a little bit

Small changes...


07-03-30 FRI.




本日、手配していたギター用の小物が届き、明後日のセッションに間に合いましたねえ。

ま、先日お伝えしたとおり、それを換えたからって、変わるのは「見てくれ」だけで、出てくる音にはまったく変化は無い、てなとこなのではございますが、なんでかちょっといじってみたくなったのでございます。
こゆのって「気分のモンダイ」ですからね。
いくら音にカンケー無いからって、金襴緞子のギター・ストラップなんぞで吊り下げてたら(燃えちゃうひともいるかもしんないけど)、とてもシブいブルースなんぞ似合わない、てなもんで「その気になれない」っちゅうことあると思うんですよね。
その意味じゃあ、音は変わらないように見えて、別な意味で音が変わる、と。

ん?なんかウマいこと言ったなあ、ちゅう満足感があるけど、そこでいい気になっちゃダメなのよねー。がはは

まあ、ギター本体と違って、それ換えたからってなんだっちゅうの?てな小物とは⋯実は音量とかのツマミなんですよ。
なんとな〜くブラックのほうが似合うような気がしてネットでさんざん探し回り、某地方のショップが通販もしてることが判って調達したものでございます。
かわったのは表面のフィニッシュだけで、ツマミそのものの材質は一緒ですから「音響学的にも」変化はないハズでございます。金属製だったのがプラスティックに、なんてことなら「ほ〜んのちょっと」は響きかたに影響与えるかもしれないけど、材質はまるで一緒ですからねえ。

Black MOSES みたく木製のネックから、重量もあるグラファイトのネックに変わったケースだと、明らかに音も変わっておりましたっけ。
なんとなくグラファイトになってから、音がちょい「そっけなく」なったよな気もしてましたが、たいて〜はゲッチョゲチョにディストーションかまして Hound Dog Talor もどきのスライド・プレイばっかですから「別に構わんよ」てなもんで⋯

でもあのテレキャスターで言えば、いっちばん音が変わったのって Seymour Duncan のテレ用ハムバッキングに換装したときですねえ。
そりゃシングル・コイルがいきなり「ほんまもんの」ハムバッキングになったんですから、音の距離感の喪失っちゅうか肉薄度(そんなコトバあるのか?)が増して、自分で弾いてても他人が弾いてるよな違和感(?)みたいのがあって面白かったな⋯
で、カンケ〜ないハナシですが、RED HOT ではもはや必需品である PANDORA、なんでか Black MOSES とは相性がよくありませ〜ん。
むしろアンプのヘッド・ゲインでツブレた音にアンプ内臓のリヴァーブかけたのが「かなり」しっくりくる、っちゅう異色の(あ、ワタクシのギターとしてはね)キャラになってます⋯


ついこないだ、東京で再会をはたした とめごろおさん が東京の街をさすらって(?)その断片を切り取ってきた写真集「とめごろお画帖 東京散策」が完成し、本日より公開されております。


(⋯に続けて iWeb のそのページに飛ぶリンクも仕込まれていたのですが、その後アップルが iWeb をヤメちゃったもので、そのページは消滅してしまいました。簡単なダイジェスト ↓ が残るのみ⋯)


しかし、こうして見てみると、わたしの写真もそうなんですが、最近の女性フォトグラファーとはやはり違う、これがオトコの視線なのかなあ?っていうテクスチュアがあるように感じますね。
そうゆう、女性たちの視線って、まあなんというか「柔らかさ」みたいなものを感じるのですが、なんだかわたしもとめごろおさんも「カチっ」と撮ってるよな気が⋯

どっちがいいとか悪いとか、正しいとか正しくない、なんてことじゃなく、あの、対象を見てるようで見てないような、でも意識は拡散していない、っていう画風(?)に、無いものねだりじゃないけど、羨望を感じてしまいます。

もちろん、この、とめごろおさんの写真もまた、わたしでは発見し得ない視点を持っていてインスパイアされるのですが、それはむしろ同種の匂いの中で、のことであり、あの女性たちの写真が見せる(魅せる)「異界」の香りとは違うんですよね。

そして最近はもっぱら携帯の画像で「のら猫写真家」としての作品をブログにアップし続けていた chami さんの「冬瓜糖の日」が 3/30 正午をもってヤプースの閉鎖に伴って、その幕を降ろしました。
とっても小さいサイズながら、訪れる猫たちを捉えたその日常が、とてもココロ和むものだっただけにザンネンです。
ただ、本家の HP はまだ健在なので、別なカタチでの再開もあるかもしれませんね。
楽しみにして待つことといたしましょ。

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