One way out

Same landscapes everywhere...


07-05-31 THU.




おそらく ↓ この画像を、弘前を離れてはや 20 年!なんてひとに見せても、これが弘前の光景だ、とは判らないんじゃないでしょうか。

これ、静岡だよ、なんて言ってもヘンじゃないし、あるいは東京周辺の、そう「さいたま市」の一画と言っても通りそうだし、愛知県の⋯愛媛の⋯熊本の⋯なんてどこでも通用しそうでしょ?
もちろん、そこに住んでて、隅々まで知ってるひとだったら「うんにゃ!ここにはこんなとこ無え!」と言えるでしょうが、そこに住んでない人をだったら充分にダマせそうです。

ま、逆に言えばそれが昭和初期の街の写真だとしても、日本国内の都市なんて、まあだいたい似たよな景観を持っていたのかもしれませんね。
とかく、「昔は良かった」てなハナシになりがちですが、昔は昔で、それほど「個性的な」町並みなんて、決して多くはなかったんじゃないでしょうか。
ただし、そんな昭和初期(あるいは大正まで遡ってもいいですが)の町並みが「現代」でも残っていると、それはもう充分に観光資源になりうるほどの「個性」を発揮することになります。
この弘前の街にだって、かっては昭和 4 年に建造された木造洋館「風」の坂本町時代の聖愛高校の校舎なんて味のある建物がありましたし、いまの市役所のところには立派な「公会堂」があったのです。

それらが今も残っていたとしたら、とてもいい観光資源になっていたのでしょうが、どっちもすでに取り壊され(公会堂は模型で残ってはいますが)、いわゆる「近代的な」建築に取って代わられてしまいました。

まさかねえ、そんな昭和のテイストが「売り物になる」時代が来るだなんて、当時は誰ひとり予測出来なかったんでしょう⋯
まあ、なんでもかんでも残せばいいのか?ってえとそれもまたモンダイでしょが、逆に、じゃなんでもかんでも取り壊しちゃえ、ってなると、そりゃ「おバカ」過ぎるっつーもんです。



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