GREAT SOCIETY

02-10-22
ジェファーソン・エアプレーンというバンドの存在を知っていたり、その音を聴いたことがあったり、彼らのヒット曲のことを聞いたことのあるひと、さらには、その後のジェファーソン・スターシップなら知っている、というひとも「そこそこ」は居ることでしょう。

さて、その前身となったグループ「The GREAT SOCIETY」のことを知っているひとってどのくらい居るでしょうか?
有名な「あなただけを」が、そのバンドでは、どんなふうに演奏していたか、ちゃんと「聴いて」知っているひとは?

「サイケデリック・サウンド」の武装(?)をする前の Somebody to loveは、もっとアコ寄りで、その分、グレイス・スリックのヴォーカルがクリアーに浸透して来るような気がいたします。
ただ、ご他聞にもれず、わたしも先に聴いたのはジェファーソン・エアプレーンの「大ヒット」となった方でございました。
ですが、偶然、とある「レコード屋(当然、CD なんて影も形も、いえいえ、そのアイデアすら無い時代のハナシです)」でまだ女子大生風(なんじゃそりゃ?)のマジメっぽいグレイス・スリックがジャケ写になっているレコードを発見し、その裏を見て「あなただけを」や「ホワイト・ラビット」が収録されているのを確認し、ワケも判らず買ってみた、ってのが真相でした。

この時のレコードは、今ではカンゼンに行方不明でございます。
ただ遠い記憶の中に頼り無く漂っているのみ・・・
と、ここまで来たからにゃあ、ヨーマ・コーコネン(カウコーネンって言ってるひともいますね)と、ワタクシの好きなベーシストのベスト・スリーの一角を占めるジャック・キャサディ(ちなみに、残りの二人はラリー・グラハムとスコット・ラファロ。え?めちゃくちゃだな?ほっといてくり!)に、ドラムのボブ・スティーラーの三人からなる Blues Unit の "HOT TUNA"まで突っ走ると思うでしょ?だって、ここ「BLUES日記」だし・・・

いやあ、それが、なんだその、ちょとちゃうんですよ。(と急にトーン・ダウン)実は先ほどご紹介申し上げた「The GREAT SOCIETY」に関係したコトなんですが。
ある男が、そのアルバム製作に一枚噛んでたらしいんですねえ。後に、その過激な歌詞、あるいはメッセージによって一躍有名になった男が。


テキサス州のダラスにもほど近い Denton という街で、いまだ「戦争」の真っ最中、1944年3月15日に生まれたシルヴェスター・スチュアート。わずか4才にして兄弟姉妹と結成したゴスペル・グループでレコーディングを経験し(注;そういう「伝説」はあるけれど、それではすぐ下の妹なんてまだ二歳ちょっと、弟にいたっては「乳幼児」ですから無理に決ってるんだけど)、やがてスチュアート家はサン・フランシスコに近い Vallejo に移り、彼はゴスペルだけではなく、トランペット演奏や理論面も学び、やがて弟と地元の小レーベルに R&B寄りな曲をレコーディングしたりしていたようですが、この頃の彼は、むしろ地元の R&B 系ラジオの DJ としての方が有名だったようです。
そして1964年、彼は、これも地元のレーベル「AUTUMN RECORDS」に専属プロデューサー&ソング・ライターとして迎えられ、初期のビリー・プレストン、そして冒頭に紹介したグレイス・スリックの「グレイト・ソサエティ」の製作に関わっています。

だが、その AUTUMN RECORDS はやがてワーナーに吸収されてしまうのですが、その辺りから彼自身の嗜好にもやや変化が現れてきて、Black Music だけではなく、ブリティッシュ系のロックにも注目し始めていたようですね。
1966年に入ってすぐ彼は「ザ・ストナーズ」というバンドを結成するのですが、秋頃には早くも解散してしまいます。
そしてストナーズのトランペッターであった、シンシア・ロビンソンを誘い、弟のフレディ、妹のロージィ、そしてマルチ・プレイヤーであるジェリー・マルティーニと、そのいとこであるドラムのグレッグ・エリコ、そしてこの名前が出たらもう、あれっきゃない、のラリー・グラハムがベース。そう、1968年に2枚目のアルバムから「Dance to the Music」が初ヒット、チャート8位を記録して一躍メジャーとなった「SLY & the FAMILY STONE」のスライ、本名 Sylvester Stewart、いわゆる「スライ・ストーン」が「今日の主役(?)」だったのれす。

しかし、あのグレイス・スリックのグレイト・ソサエティとスライとは・・・
詳しくは Sly を。
permalink No.192

Search Form