Poor politics

Make poor city


07-10-11 THU.






ときどき自分が、弘前という街を愛しているのかどうか怪しいな、と思うことがあります。
確かにここで生まれ育ち、デザイン・スクールから就職、という数年を過ごした東京時代以外は、この弘前から離れることなく、しかもご先祖さまもワタシの知るかぎり、四代前までは確実に弘前生まれなハズ。ただしその連れ合いは周辺地域からが多いようですけどね。
江戸っ子は三代続かないと、ってのからいくと、いちおう紛れもない「弘前っ子」ってヤツになるんでしょうね。
ただし、その割に外から来たひとが好きなのは、母が東京出身だったせいもあるのかな?などと考えたりもしますが、さて、ど一なんでしょ。

ところで、ナゼかトツゼン「突き当たり」シリーズってのをムリヤリ始めてみますと、この街の本来の魅力ってのがどこにあるのか?と考え込んじゃいました。
ある種の歴史的遺産は、まあそれなりに大事にはされてます。
主に「中世から近世」の城廓やら、武家屋敷と街並などがそうですね。明治期の洋館も⋯
そこらの遺産(?)も時代とともに減ってってますが、「近代」につながる大正から昭和初期あたりの物件が凄まじい勢いで消えてってますよ。
木造洋館でもなければ、武家屋敷でもない、それこそ「半端な」近代化(あるいは洋風化?) の産物であるような商店であるとか倉庫など、それも煉瓦造などであればそれなりの優遇もされたりはしてますが、例えば木骨モルタル造であるとか、細部に漆喰の鏝絵を持つ木造建築などは、まあ、確かにその耐用年数からいっても限界が近づいているとはいえ、まともな記録作業さえ受けることなく、カンタンに更地に解体されてってしまう⋯
これは木造洋館である、あるいは伝統的な商家の姿である、てな能書きしか理解できないセンス無い連中からしたら「趣のある」=「リッパな能書きがある」ってだけなんじゃないの?

そうゆうんじゃない「オモシロ〜い!」とか「なにこれ〜!」てなものの価値を感じられる豊かなセンス、てなもんが「まったく無い」方々が勝手に価値を決めてるんだろな⋯そうゆうのを「貧しい」ゆうんだけど!

なにも木造洋館や武家屋敷ばかりが弘前の街の魅力を作っているのではない、と思うのですが、もちろん、そのような「半端な」物件には、いかなる補助も無いのでしょうね。
この二・三年で「なかなか面白い」と思っていた、古い一般の商店や、住宅、あるいは用途の ハッキリしない物件も含めて、姿を消してしまったケースが多数あります。
そりゃもちろん耐震性であるとか耐火性など、古い建造物には「そのままではキケン」という ケースが多いだろうってのは理解できます。
しかし、だからと言って、せっかくの面白い意匠を纏った迷建築やら珍建築が消えるに任せて 良いのでしょうか?
名建築ばかりではなく、そんな「なんじゃこりゃ物件」こそが、その時々の庶民の「夢」を掬い上げて来たのだ、と言っては強引過ぎるでしょうが、建造物というものに与えられたイメー ジを「いかように歪曲して来たか」という里程標として残して行けたらいいのになあ、という物件を、せめて(いまさら遅い、とも言えるけど)画像だけででも記録しておきたいものでございます。

permalink No.1998

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