Traditional tourist inn

Japanese SOBA noodle shop


07-10-19 FRI.






こちらは、昨日の鉄砲町に続き、下鞘師町から元寺町へ突き当たるところです。
あ、元は寺町だった、ちゅう名前ですから、かつては寺院街だったらしいですが火事がなんちゃらで(あるいは長勝寺構え、とゆう軍事的要塞になりうる位置に)移動させたのかも?はたまた城下町の商業化が進み、寺院は少し離れたところに移動させよう、となったものか???
てなことはともかく、元寺町があるからには、と(?)新寺町とゆうのもあります。どちらも「もとてらまち」&「しんてらまち」と読まれているからには、おそらく藩政期の改変だったんじゃないのかな?⋯なんてロクに調べもせんと書いてますけどね。がはははは〜
なんたって弘前藩日記とかゆうの「と〜ぜん」毛筆による筆記体プラス古語アンド津軽弁(?)入りでしょうから、よう読めませんにゃわ。

さて、上の画像、正面の突き当たり左に見えている白壁の日本家屋は石場旅館(あ、塲、という舊字?も使ってたかな?)という由緒ありそな古い建物に見えるのですが、ザンネンながら、ワタクシまだここには入ったことがございませんゆえ、どのような建造物なのかを語るほどの知識を持っておりません。

ところで、その突き当たりの手前、右側に「き⋯(小屋根で見えないけど、たぶん変体仮名でそば)ますみや」という看板が見えておりますよね。こちら、たま〜にワタクシも寄ってく、もりの大盛りが五百円、という典型的な「町のそば屋」ってお店でございます。
まったくもって力んでない「ふつうのそば」てな仕上がりで、最近多いと言われている「蕎麦にウルサいオヤジ(お前もな)」には物足りないかもしれませんが、タマには真剣勝負に疲れた神経を「必要にして充分なそば」というゆるやかなスタンスで癒してくれるのでございます⋯

と、それにはカンケ〜なく、ちょっとした調べものをしておりまして辿り着いた先で、なんとワタクシがかつてやっておったブルース喫茶(あ、当時は「ジャズ喫茶」ってのが普通でしたから、となると、と一ぜんこっちは「ブルース喫茶」になるワケで)キャヴァーンにまつわるエピソードをハッケンいたしました。
そこには、初めてのツアーで来た弘前で、キャヴァーンに泊まり、さあ北海道へ、というその日に、もの凄い豪雨に襲われてもちろん鉄道は運休し、都合三日も弘前で過ごすこととなったいきさつが書かれてたのです。
ちょうど三十年前、1977 年の夏のことだったと思います。
そのときの大阪からの客人が「あの」ゴンチチの⋯
いやいや、「縁は異なもの」まさにそれですね。

それにしても、あの土淵川を、ホントに上流からプタが流されて来たんですから!

permalink No.2006

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