Life is a gamble

No win, no loose ?


07-11-10 SAT.






もう後半にさしかかったら、生きていくことは「失い続けてゆくこと」でもあるのかもしれない⋯
前半ってのは「なにか」を掴み取ろう、手に入れようとして「やれば出来る」と信じてますよね。
それが次第に「いくらやる気があっても無理だ、ってこともある」んじゃないか?って疑問がきざし始めるんですよ。

かつて夢みていた、そうなっていたかもしれない自分。
あるいはいまだってやろうと思えばできるだろうことも、体力や気力、さらには周辺とのいろいろなしがらみから見送ってしまう。

でもまあ、それを嘆いたってしかたないよね。
そんな方向を選んだのは自分なんだから。
世の中には必然的に、「これ」を選ぶのであれば「それ」はあきらめないと、ってことがあるんだよ。
そこには悔恨と哀惜が伴うかもしれないけど、それ込みで受容してくのが「生きる」ってことじゃないのかな。

ただ夢だけ見てれば生きてる気がした時代。
いつのまにか「出来ていたかも?」と思えたのが「無理だったのかも?」に変わり、さらにはやって出来たことすらも「やらなきゃ良かったのかもな」なんて思える⋯

なんだかカンタンに出来ることにはあんまり価値はない、困難を乗り越えて獲得したものにこそ価値があるんだ、とゆう「間違った」思い込み。
ものごとの価値ってさあ、そこに到達するまでの時間や手間やストレスで決まる!思ってない?
乗り越えられてエラい!ってのは要するに自分をホメてるだけで「単なる」ねぎらいだよね。
なんで獲得したものの価値を冷静に見られないんだろ?
まあ、過大評価したくなるキモチも判るけど、そうやってナニが大事が、を見分けるチカラを失ってくんでしょうね⋯

permalink No.2028

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