Happy Home

2002-11-08
さて、いまごろは向島の寿家で、ぶぅちゃま御一行が宴たけなわ、ってトコだろなあ。
きっと美味しいものを食べてるぞう。
父にアイスを盗まれるのが原因で一人暮らしするコトを決意した(え?違う?だははは、そりゃそーだよねー)ぶぅちゃんも、寿家を第二の実家として安らいでいるコトでしょう。

さて、今回、青森県が指定する「県重宝(どうやら『国宝』の県版らしい)」に浪岡町の坪田家住宅ってのが選定されたようです。
このような築百年以上の旧家は、浪岡町ばかりではなく、他の市町村にもあり、たとえば弘前市では、よっすぃ〜がお土産買った「りんご公園」内にも一棟が移築され、一般にも公開されています(連れてった時は、なんでかよっすぃ〜が出発時間を間違えてて、まだタップリ時間あんのに、買い物もそこそこに出て来ちゃったんで、そこ見せてません)。
とは言っても、生活の痕跡はキレイに拭い去られてあり、抜け殻状態なのがちょっとなあ。
せめてカンタンな調度は配置して生活の匂いを演出するワケにはいかないんでしょか?

同じことが鶴田町の廻堰(まわりぜき、別名「津軽富士見湖」。実はでっかい農業用水溜池です)の傍に移築された農家にも言えますね。
とても立派な建物で、自由に見学も出来るようですが、ここも一切の調度類が運び出されてて、とってもガラ〜ンとした「空疎」なフンイキなのです。
せめて各部屋には2、3棹の箪笥、中央には座卓を置いて周囲には座布団など配し、そして土間にも、片隅に編みかけのゴザなどがあれば、もっと活きてくるように思いますが、そんなカネもヒマも無いんでしょうかね?

同じような建物でも、国道101号線の森田村の「道の駅」に併設された農家は、お餅や茶を楽しめる「甘味処」として営業しており、その台所部分こそ厨房として営業に使用しているために見学は出来ませんが、残りの部分は座敷から部分二階、土間、そして家畜を入れる部分まで見ることが出来、特に座敷まわりは客席として使われているために、かえって往時のたたずまいを髣髴とさせるものがあります。
やはり、毎日「火」が入り、人々が出入りしてこそ、「住宅」というものは「命」を持ち得るのではないでしょうか?

家具調度を一切置かないことによってのみ、「初めて」理解出来る、当時の「建築技術上の特徴」などと言うものがあると思いますか?
むしろ、家具を置くことによって「動線」が見えて来て、それによって理解出来る部屋の配置や構造上の特質があるのではないでしょうか。

このような古い民家を何棟も集めて、テーマ・パーク化したものが、弘前からは十和田湖をはさんだ反対側、県の東部にある田子(たっこ)町にあります。
たしか「タプコプ・ランド」という名前だったと思いますが、古い民具や玩具を集め、駄菓子の販売もする一棟、漬物などの加工食品の一棟、そして、なかには「手打ち蕎麦」の教習と、お蕎麦屋さんとして営業もしている一棟があり、夏など、開け放った縁側で、やや質朴な手打ち蕎麦をたぐることも出来ます。当然、座敷はすべて客席となっており、週末などは多くのお客さんを迎えて、とても「幸福」な民家として息づいているように思えました。
やはり、人の声がし、火の気があり、おダシのいい匂いが漂う、そのような「中身」というものを欠落させた、イノチの無い「展示」では、当時の「暮らし」が持っていた暖かさは伝わらないんじゃないでしょうか?

その意味で、昔の民家を見たい、というのなら、南部系なら田子町、津軽系なら森田村のがよろしいでしょう。
どっちも座敷で座布団ひいて茶なんぞすすりながら寛げるんですから。
そーして見なきゃ「感じとれないもの」っていっぱいあると思うんですよ。
りんご公園の農家を見学しているお客さんを見てごらんなさい。皆さん、畳の上に座り込む気もしないから、立ったまま見て歩くだけです。
それって、生活の目線じゃないんですよね。生活の目線は畳の上、60〜80cmにあるワケで、それを立ったまま通過したって「フ〜ン」でお終いです。
せめて座卓を置いて、その上には手にとって見る、あるいは読むことの出来る資料を用意し、その周囲には沢山の座布団を配しておけば良いのです。
座って見渡すことによって、家はまったく別の貌を見せるのですから。

湯茶のサービスもあればさらにいいけど、どうせなら囲炉裏に火をおこし、専従のばあさまがなにやらブツブツ言いながら茶を淹れるなんてサービスもやればさらにいいなあ。
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