T-junction
What make them so charming ?
07-11-16 FRI.
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え〜と、首都圏にお住まいらしい匿名のかたからメールをいただき、ワタクシが最近やたらこだわっておる「突き当たり」について、「正しい突き当たりの定義を教えてください」とのことでこざいました。 おやおや、それは困りましたねえ。 ワタクシが採り上げておるのは、確かに「それなりの基準」があって、それに適うものだけになってはおるのですが、それ、「正しい」か「正しくない」か、てなことじゃありません。だいたい「突き当たり」に正しいも正しくないも無いワケで、ワタシにとっちゃその突き当たりが気に入ったかどうか、それだけなのよね一。
つまりね、どんな突き当たりであっても、「そこがココロに残るかどうか」だけが「採り上げる」と「採り上げない」の分かれ目なんですよ。 どんなヨイショやユイショがあろうが、「実は」てなエピソードや歴史があろうと、ココロに残るものがなかったら「あっそ⋯」でオシマイ。 ケッキョクは「そこ」をどう感じるか?っちゅう実に勝手な「個人的な感傷」なんですわ。 どう捉えるか?なんてのは都市、あるいは市街の形成されるアルゴリズム!なんてのを研究しておられる専門家にとっては重要なんでしょうが、ワタシはホントに安直な「好きか嫌いか」だけが大事なのです。
実はワタクシ、なんでもかんでも「正しいナントカ」てなふうに正誤を基準とするのって、ちょっと苦手です。 もっとも、苦手ではあっても、そういう座標の存在を否定するものでもありませんが、たかが突き当たりに正しいもクソもあるか!思うんですけどね一。ヤツには別に自分の「意志」なんて無いワケですから。 ニンゲンのすることには正しいも正しくないも言えるかもしれませんが(内心、それだってアヤしいもんだ、てな気がしてますけど)、そんな不特定多数の周辺の住民たちの行動から産まれた「道」ってもんにそれを要求すんのはどうなんでしょねえ。 ま、それはともかく、ワタクシの好みを言うのならカンタンです。 まず、ヘンな「プロジェクト」てなもんにカブレたよな「新道」が作り出しちゃった突き当たりはあまり「好きになれません」。なんだかとってつけたみたいな「仮の」って感じがして⋯ そして、そこまで行ってみて初めて、あれれ、ここって突き当たりなの?って判るよな、一見ただの十字路?ってのもダメ。 そう!見るからに「なにかしら」が立ち塞がってる突き当たりが好き!
そして、その建物も最近のモダーン風な建て売り住宅なんぞじゃなく、昭和初期あたりの、カネかけて保存するほどでもなさそだけど変な味がある、てなアヤし一物件だったらなおケッコー! そして丁字路の左右で道幅など「主従」と言えるほどの差があるとこもピンと来ません。やはり「右に行こか、それとも左?」と悩ませてくれるよなとこがいいなあ。 しかも、突き当たったその道路が、こっちよりも道幅もあって交通量も多い、なんてのも好きです。
そして、なんと言っても、もっとも重要なのは、個別の条件、こんなだったら好き、てなエレメントの集積だから、なんてことじゃなく、見た瞬問に感じる「インパクト」!これがイチバン大きいんじゃないのかなあ。 結局、「〜だからイイ!」てなことじゃなく、見た瞬間に決まるんですよね。 黙っててもカメラを取り出して撮影したくなるとこと、そうはならないとこ。 その「なんでだか判んないけど」ってとここそがワタクシの個性っつうもんじゃないの?⋯ってことにしておこう。がはは!
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