Value for money ?

Money for the names ?


07-12-08 SAT.






最近、実際には違う産地のものを「名産」と偽ったり、生育方法が違うのだから、その名称は使用出来ない、ってものまでウソついて販売していたのがモンダイになっていますよね。
さて、有名な「イベリコ豚」の実際の日本向け輸出総量と、日本国内での「その名前で」流通している豚肉の総量が「あまりに違う」という実態をご存知ですか?
そう銘打てば売れる(ちゅうか同じものがより高値で売れる)んですから、知らないのは消費者だけってこと。

もちろん、そんなん判りゃしねえよ!なんてニセ・ブランドを扱ってた業者は実に悪質であることは確かですが、それじゃあ、それ食べた消費者ってどうなのよ?
え一?これホントに宮崎地頭鶏?なんて「判別」できるひとってどんだけいるんでしょ?
比内地鶏にしても但馬牛にしても、イベリコ豚にしても、そう言われて出されれば「ほほ〜、さすがに違いますねえ⋯」なんてやってたんじゃないの?
あ、もっちろん「え?これがイベリコ?ウソでしょ⋯」と思うひともいたハズですが「モメたくないしな⋯」でそのまんま⋯

ところで、先日のミシュラン・ガイドに選出されたお店への予約殺到の件でもそうですけど、ケッキョク自分で、うわ!これはウマいっ!なんてハッケンする能力もなく、そのくせひとよりウマいもんは喰いたい、カネならあるぜ!てな層が確実に存在するんでしょう。
そうなると、ともかくヒョーバンの味はチェックしとかないとハバがきかない、ってんで、いきおい「名声」に頼るようになる、と。

名声、ってのは、そりゃある意味、評価するときにひとつの尺度にはなるでしょう。
でも、それって、かつては(それが伺年前かは、かなり幅があるようですが)美味しかったこともある、てな「歴史上の一瞬だった」と理解しとかないと、名声に慢心し、真のイノヴェーションには背をむけた「名ばかり」の有名店になっていても気づかない寛容な消費者こそ「いい面の皮」。
それこそ「いい気になった」殿様商売に「お布施」してるようなものです。

食材のブランドだってそう。なんでもひとくくりで扱ってますけど、同じ産地でも、田中さんとこのはホントにいいけど、Hさんとこのはイマイチ⋯なんてことザラですからねえ。
逆に言えば、全国にまったく名は売れてなくとも、あそこの豚は絶品!なんてのが、「ホントに味の判る」ひとには静かに愛されていたりします。
なんだってそうなんでしょうが、ブランド信仰って、ある種の業者には「とても都合のいいもの」であるようですが、さて、消費者にとってはどうなんでしょうね?

ま、どうしたってブランドが好き!っちゅう方々もいるから、そっちはそんなひとたちにお任せしとけばいいのかな?
でもね、いいものはいい。けど、ダメなものはやっぱりダメ。
ブランド=いい、なんてのはただの「信仰」です(いえ、あるいは狂信、はたまた迷信に近いかも)。

信じる者はすくわれる⋯足下を?

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