Coincidental rerationship

A year of confused


07-12-10 MON.






今日だって充分(?)風は冷たいんですが、でもときどき陽が射してますからね〜!
しかももうほとんど前回の雪も無くなってきてますから、外回りは ROCK 4400 で出かけます。

顔は、たぶん「面の皮が厚い」ってヤツなんでしょか、かなり冷たい風でもまあなんとかダイジョブなんですが、モンダイは耳の先っちょ!これが「痛い」くらい冷たいですねえ。やはりこりゃ耳はなんか考えたほがいいかも!やっぱニットの、ヘアバンドみたいので耳の分ふくらんでるデザインのがいっかな?
あのヘッドフォンみたいなんでフワフワのマフみたいのついてるヤツじゃ、いくらなんでもねー。

ちょっと足を伸ばして、今年はもうこれで最後かもしれない平川の河川敷を走ってきました。次のアポまでの時間でしたから距離的には、たった橋ひとつぶんの区間でしたが、やはりクルマの騒音もない、聞こえるのは風の音だけ、というロケーションは、冬にはなおさら寂寥感が増していい感じ。

なんだかあんまり実感は伴わないのですが、今年もあと三週間しかないんですねえ。

いやあ、思い返してみれば、今年はまさに激動の(あ、これは個人的な感慨でこざいますので、どこがじゃ〜!ってなツッコミはしないどいてねん)一年でございました。
実にもういるんな意味で身辺に変化があり、もしかすると後年、うむ、考えてみれば、あの年がターニング・ポイントじゃった!てなことを述懐するよになるかもしれませんね。
それまで、その存在は知ってはいたけれども、そのままだったら、おそらく、なんの接点も無いまま夫々の抛物線を描いて虚空を遠ざかっていくことになっていたかもしれないひとと交差することになったり⋯

もちろん、それは数多くの偶然が重なってそのような機会に巡り合ったのでしょうが、多少楽天的に過ぎるかもしれないけど、それはある意味「必然」だったのではないか、という気もしております。
偶然も一度や二度ならともかく、あまりにそれが重なるようだと、やはり、そこにはなにかしらの必然があるのではないか?って思ってしまいますね。
ま、実はそんな「神がかり」的な考えかたってあんまり好きじゃないんですけど。

でも時とともに世界は動き、すべての関係性もまたゆるやかに変化して行きます。
そしてまた常に新しい機会が訪れて、これまでの結びつきは意味を変えたり、あるいは思ってもみなかったチャンネルが開通してみたり⋯

しかし、「ひと」と「ひと」の関わりのありようはすべて個々に特化されたもの。
一般論でくくることは出来ないみたいです。

もう残り少ないけど、今年あったいろんなことを、最近、「ちゃんと」意識して見つめなおしてみていますが、やはり思うのは、「取り返しのつかないこと」って言ってしまうと、それはほんとうに「取り返しのつかないこと」に「なってしまう」んじゃないかってこと。

あまり楽天的なのも問題だけど、自棄になってもはじまらない⋯

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