Calvin Owens...

R.I.P. He was 79 years old


08-02-24 SUN.





またひとりブルースに縁の深いミュージシャンが世を去りました。

Calvin Owens ( born-APR.23,1929 ) トランペッターでありコンポーザーであり、またパンドリーダーとしてピーコックでの「音」を作ってきた「ヒューストンの陰の主役」です。
1953 年から 1957 年まで、 彼は B.B.King と行動をともにしていますが、 それが後にグラミーを獲得した 1983 年の B.B.King "Blues 'n' Jazz" につながったと言えるかもしれません。
彼が関わったブルースマンは他にも T-Bone Walker に Amos Milburn、 そして Junior Parker なども挙げられます。
そしてジャズのほうでは David "Fathead" Newman に Arnett Cobb など⋯
でも、おそらく日本のブルースマニアの大半には、「あまり興味を持ってもらえない」部類のミュージシャンかもしれませんね。

こうゆうバックで支えてたひとたち、ってのは、まず表舞台に出てくることもないし、特にひところベルギーに住んでいたこともあって、ますます知名度的には不利だったのかもしれません。
おまけに、 日本ではこれじゃなきゃブルースは語れん!てなデカい面をしてるシカゴ・ブルース・ファンダメンタリスとどもにも覚えはよろしくない⋯なんたってヒューストンですからねえ。 テキサスですから⋯
あのJunior Parker の「音を作ってる」って意味で特別な存在なんですけどねえ。 ワタシにとっては!

その Calvin Owens が肝臓癌の二度の手術のあと、 ついに腎不全に陥って死んだのが木曜日の朝 ( 2008.2.21 ) でした。

昨日は、まったくカンケー無いことを検索中に、思いがけずラリー・バートンの画像に出会ってしまいました。
え?知らない?
うん、でしょうね。その名前を聞いて、ああ、アルバート・コリンズのバックでギターを弾いてて、日本にも一緒に来てたよね、とか、アーロン・バートンと一緒にバートンブラザース・ブルース・バンドやってた?とか、1999 年のアーロンのアルバムでルリー・ベルと一緒にサポートしてたよね、なんてことを言える方は、この日本ブルース業界でも(?)、さほど多くはないんじゃないでしょか。
どちらかと言えば、それほど華々しい活躍をしている、って印象もなく、みんなが知ってる名曲を世に送り出したワケでもないので、特に日本ではあんまり知られていないのもしかたありませ〜ん。
でも、案外そのへんの位置に低迷(?)してる現役ブルース・ミュージシャンってのも、いま現在、けっこういるのかもしれませんね。
どうしても、ここ日本では、リーダー・アルバムをかなり出してたり(あ、かなり出してるけど、あまりファンは増えなかったように思えるサンシールズなんてひともいますけど)てな「覚えのよろしいとこ」がないと、日本に呼んでライヴをさせよう、てな話にはならないみたいです。
主催者サイドの考える「動員可能スケール=ペイ出来るかどうか?」ってのがあるから、ついついおなじみの「大物」の名前が出てきちゃうんでしょ。

その意味では、んなこと構やしねえ、カネはなんとかすっから呼んじゃえ!てな青森市の「ブルースの街:青森」作りっての、ホントに「突き抜けて」ます。
今年夏の本番では誰が来てくれるのかまだ判りませんが、これまでのとこ、誰が来たとしても、充分に楽しめるという「ブルース力(?)」のある聴衆のおかげで、そこそこ楽しめるフェスティヴァルになってるみたい。

permalink No.2134

Search Form