Majority’s negative rejection

Stronger than decision


08-03-04 TUE.





結局、どうにも馴染めなくて放ったらかしにしてるけど mixi って、一体なんだったんだろね。

ネットに出入りはしたいんだけど、ホームページ作れる技量もなく、ブログやってく甲斐性もないってひとのための代行サービスみたいなもんだったのかな?
そうそう、「お仕着せながら制服が与えられて、いろんな集会室もあって同好の士と仲良しごっこも出来る、村社会!」って言ったひとがいたけど、案外「そのとおり」なのかもしんないな。
いちおう招待されて入ってはみたけれど、ともかく「ネットに向かないひと」のネットツールって感じで最初っから「違和感だらけ」でしたっけ。

こうゆうこと書くと、非常に嫌われるでしょうけど、別にネットなんかに関わらなくてもいいのに、ってひとがノセられて「つながってる幻想」のもと、仲良しごっこをしている⋯っちゅうものだったんじゃないの?
そこでなにかクリエィティヴなものが醸されるでもなく安易な自己満足と同盟幻想の上でつるんでるひとたち⋯
まあ、別にいいんじゃないの。それで、つうかその程度で満足できるんなら。って見方もあるけどさ。
ひところ通常のワード検索に mixi も含まれてた時期があったみたいで、行ってみると mixi のスレッドだったりしてましたが、いやもうせっかくそのスレッドに複数の参加者がいても、通常の個人が管理してる趣味のブログひとつにも及ばない浅い「上っ面」の記述しかそこにはなくて、資料としてもいたって不完全な存在でしたっけ。

というか、ワタクシのこのブログで採り上げてたブルース・ナンバーとブルースマンについてのポストのほうがゼッタイに中身のある記述であるようにする、とゆう「ある意味」逆のお手本として存在してたくらいです。個人の記述ひとつに数十人が積み上げて(ってないとこがほとんどだったっけ)ったスレッドが内容の濃密さで「かなわない」ってのはハッキリ言って「悪い冗談」だよね。
多数決、って言葉があるけど、多数がネガティヴにしか働きかけてない「多数否決」がその原因なのかも。多数、がパワーになるんじゃなく前進に抗うひとつの壁になってしまってる⋯

もちろん、マイノリティであること「だけで」価値があるワケじゃないよ。
でもそれはマジョリティであることをもって「価値があるからだ」という妄信にも言えるんだぜ。

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