Chop Sticks manner
Degradation ? or innovation ?
08-04-23 WED.
| | これもまたひとつの「偏見」でしかないのかもしれませんが、ワタクシ、ソバやらラーメンを食したあと、使った割り箸は、紙製の箸袋があるところならばそれに戻し、ただし奥までは入れずにそのぶん箸袋を折って、これはもう使用済みの割り箸である!ってのが一目で判るようにして置いてくる、っちゅうのが「当然だ!」と思っております。
ですから、よく学生の部屋なんぞに行くと、カップヌードルの蓋が三分の一ほどでくっついたままのカップに割り箸が突っ込まれたまま、っちゅう食べたあとの姿が「とっても」気に入らなかったものです。 しかし、そうゆうのは、ある意味、「カップヌードル」っちゅう、ひとつのまったく新しい食文化によってもたらされた「変革」だ、とは思うんですよね。
カップヌードルでは、蓋をとっちゃうとその始末がメンドー、てなもんで「取り去らない」ままで食べるようになり、割り箸だって、「どうせ捨てる」んだから、食べ終わったらそのままそこに突っ込んどきゃいい⋯ってことになったんじゃないでしょか? ある意味、合理的とも言えるのかも⋯
てなことを言いだしたのは、本日、近所の蕎麦屋で昼食を早めに摂った際、すぐ目の前の席にいた三人(中年の夫婦らしき向かいには妻の父らしき老人)が食べ終わって席を立ったあとを何気なく見たら、三人が三人とも、使った割り箸を、井のなかに突っ込んだままにしていたのを見てギョ!っとしたせいなのです。
まあ、その人たちにしてみれば、それをなんとも思わないメンタリティで「それなりに」暮らしているのでしょうから、ワタクシごときがそれについてとやかく言うことではありませんが、ああ、食にまつわる「文化」みたいなもの、それこそ様々だなあ、と考えてしまいましたよ。
そう言えば、なんですか、蕎妻を音たててすすり込んだのがイヤだ!って振られたオトコってのもいるそうで、「バカこけ!蕎妻は音たてて喰うのがマナーってもんだ!」などと青筋たててる方もおられるでしょうが、でも、昔はそんなことなかったのに、落語のラジオ放送が始まって、音だけじゃあ蕎麦喰ってる仕草が伝わらねえから「殊更に」音をたてて演じたのが「蕎妻は音たてていい」ってえ「間違った常識」の始まりだ、てなことを読んだ記憶がございます。
マナーなんて世とともに変わってくんでしょうねえ。
ところで、蕎麦すする音がイヤだ!なんていう女性に惚れ込んじゃったらどうします? 音をさせないで蕎妻を喰う練習、こっそり始めたってワタシは笑わないよ。
だってねえ、どっちが大事か?っつうモンダイですから。
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