Old Japanese traditions

Living in modern age


08-05-22 THU.






ふうむ、なんだかそう言えば、昨日、どっかで花火が上がってたよな「気がした」んですが、もうすでに「宵宮(このへんでは「よいみや」ではなく「よみや」と言う)」が始まったんですねえ。

さっき、ネットで知ったんですが、まあ、当日に知っていたとしても、ちょと離れたとこでしたからわざわざ行ったりはしなかったと思いますが、どうしてか後から知ると、ちょっとだけ悔しいのはなんででしょ?
実際にウチの近くの胸肩弁天の宵宮のときなんかだと、一帯が交通規制のせいで混乱するし、夜おそくまで花火を打ち上げて騒ぐヤツがいたりして「煩わしい」なんて思うのに、逆に離れたとこのだと行ってみたい、なんて思うのはどうも住民のエゴ、なんていうヤツの一種かもしれません。

自分とこでやられちゃうとウルサくてしょうがないけど、でも、どっかではやっててほしい!ってヤツね。
同じよに、昔ながらの住宅、片側に土間が裏庭まで続いてて、そんな土間に流しやら「かまど」があって、なんて生活、自分でするんだったら不便だからごめんだけど、でも、そういう暮らしを今に伝える旧家、なんてのが残ってて欲しい!てのも一緒ですよね。
いやもう、真冬の土間に立って、湯沸かし器もない水場で大根を洗ってごらんなさい、イッバツでヤになりますから!まあ井戸水だったらまだ少しはいいかもしれんけどさ。

もっとも、井戸からの水をタライに受けて、洗濯板でゴシゴシなんて、夏ならともかく、いくら冬は井戸水が温かく感じられるからって言っても、所詮は水ですからねえ。
そしてお風呂!誰かがつきっきりで火加減をみてやんなきゃいけない!ま、昔は「内風呂」なんて無くて「銭湯」ってのが遭ったり前だったかもしれんけど⋯

そうゆう、自分がやるのはイヤだけど、誰かがやっててくれたらいいなあ、なんての、ホントに勝手な言い草なんですが、正直に言うと「そう」なんだからしょうがありませんねえ。
そのうち、そうゆう暮らしを「してもいい」なんて人には、一定の補助をする、っちゅう、一種のナショナル・トラストみたいのが出来たらいいのにね。

住居費は免除!光熱費?それも免除!てな感じでさあ。
その代わり、見学者を案内しなきゃいけないけど、拝観料一人百円ってのがそのまま収入になる、ってのはどう?

ま、なんだったらそこで喫茶店なんぞやってもいいかもな。
森田の古民家を使ったそば屋なんてのがそれに近いのかもしんない。

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