Japanese sweets

New comers vs. faded away shops


08-07-12 SAT.





以前っから「なかなか美味しいよ」ちゅうことは聞いておりますが、いまだにチェックしたことがないお店があります。

かつてはメインの商店街であった土手町の南西側に並行している「品川町(しながわ、ではなく、ここ弘前のは「しなかわまち」と濁らない読み)」という通りがあります。
町名の由来については、当初「土手後町(読みは不明)」とされ、続いて土手後新町となって土手町の付属品みたいな扱いされてたものが、明治期の初めには侍町(読みは不明)と呼ばれてたとゆう説も?
じゃあ、なんで品川町になったのかちゅうと、名主(なぬし)長左衛門の苗字が「品川」であった、とゆう説もあることはあるんだけど、でもねえ「しながわまち」と読まれているのならその説も「あり得る」言えるんでしょうけど、「しなかわ」と濁っていないとこみると「別な語源」があるんじゃないのかな。

ついでだけど、地元でもその名主の苗字から来たという説はあまり支持されてはいないと思いますよ。もとがシナガワだったのがシナカワにはなかなか転訛しない、ゆう説や、当時の苗字で「品川」をシナカワとは読まないことから「榀皮」のように、逆にガワとは読まない語句に「後に」当て字したのでは、という説もありますねえ。

あ、よけ〜な脱線しちゃった! 
その品川町にある「川嶋開源堂」とゆうお菓子屋さんなんですけど、なかなか「いい評判ばかり」聞こえてきます。
ですが、まことに申し訳ないのですが、ワタクシは和菓子っての「敬して遠ざける」ちゅうか軽々しく語れないよな、思っておりますのでございますよ。
まあ、歴史ばっかりではないのですが、その精神ちゅうか基本となっておる世界観が洋菓子とは「まるで異なっておる」とゆう認識なんですね。

そうなった由来はこうである!みたいな連綿と続く歴史上の流れを理解できないと、その存在理由からして判りえないような気がするのでございます。
そもそも、菓子、とはなんであるのか?てな根本から違うよな気がする!と⋯

昔は生家の近くの菓子舗を軽く見ておったのですが、その理由ってのが「ケーキが美味しくない」からだったのでございます。そう!和菓子の専門店を、専門外だけど作ったケーキでイマイチ!なんて切り捨ててたんですねえ。後年、そのことに気づいてからは、和菓子のお店のケーキで判断してはいけない!ちゅうこと学びましたよ。

ええ、今でもやはりワタクシ和菓子はよ〜判らんので「なるべく触れないように」しています!

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