Classic cultures
Heritage of grass-roots movement
08-07-23 WED.
| | 解体作業中の割烹の横を通りかかったら、まあ、今日はちょうどそこまで行ったとこで終業時間が来ちまった!てなワケなんでしょか、手前の壁などが無くなって、でも屋根はそのままですから、いかにも不安定な姿で佇んでおりました。
これ、夜の間に持ちこたえられなくなって一大音響とともに崩れ落ちる⋯なんてことは無いか? そうなったら(たぶん現場は夜間、まったくの無人のハズなんで人的被害は無いものとして、ね)オモシロそうだけど⋯てなこと言ったら叱られちゃいそうだな。
ただ、こうして見ると、その間取りやら構造そのもの、造作なんてのが、これでひとつの「遺産」だと思うんだけど、まあ、確かにかなり老朽化も進み、補修を続けて維持していける範囲を「既に」逸脱しちゃってる、ってことで取り壊し、更地にしちゃうんでしょね。 いわゆる昔ながらの料亭なんてやつ、いかにも腹黒い政治屋(政治家じゃなく、ね)が密談しに集まり(?)「越後屋、おぬめしも悪よのう⋯」なんてやってそうじゃん?
もっとも、そんなじゃなく、町屋の旦那衆だって「宴会」っちゅうと「こゆとこ」に集まったりしてたもんですが、なんだかいつのまにやら、そんな宴会だったらもっと「お安く」出来まっせ、てなお店がイッパイ増えちゃって、料亭の存在感も低下しちゃってたんでしょうねえ。
そこらが、京都なんかと違って、宴会は「吞み会」であって、決して「文化」にまで昇華させることが出来なかった「地方都市」の限界、ってやつかもしれませ〜ん。
もっとも、かつての吉原でもそうですが、そこで遊ぶためには、客のほうがそのルール(?)を尊重し、何度も足を運んでやっと認めてもらう、なんてのを「粋」として意識する⋯なんてのはワタシのよなイナカモンにはちと理解できません。 それにワタクシ、そゆとこで遊んでもらわんでも楽しいことイッパイあるし!ってのが大きいのかもしれないな。
そこゆくと昔はそれほど娯楽も多くはないし、出来る遊び、っての限られてたんでしょね。 しかもそうゆう同じ土俵の上でだったら「アイツよりオレのほが上だ!」なんて「序列」がハッキリしますから「ランク付け」が好きな日本人には良かったのかも。
なんにしても「料亭」っての、まだまだ都内では健在みたいですが、ここらじゃ生存出来ないのかな⋯ちょっとさびしい(って自分じゃ行かないけどさ)。
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