New tradition ?

Innovation or degradation ?


08-08-06 WED.





今日で弘前のねぶたが終わりました。

な〜んてゆうとウルサいヤツ⋯うっぷす!あ、愛郷心にあふれた方々からは、明日の昼ねぶたってのが最後じゃ〜!ゆうてイキられたりすっけど、ここで生まれ育ったワタクシからしたら、そりゃもうオマケみたいなもんで、津軽弁でゆうとこの「ネブタほいど」てなもんじゃん!
遠来の観光客で「それをわざわざ観に来るひと」ってのは減多いないんじゃないの?
もしワタシがそうゆう観光客で「昼ネブタ」に案内されたら「なにこれ〜!」って怒るけど⋯
やはり夜に、灯を入れた燈籠が練り歩くからいいワケで、明るいとこで見ても、なんだか集合場所に向かってるだけみたいな白々しいものを感じるのはワタシだけなんでしょか?

さて、それはともかく、今年はちょっと気になることがありました。
それは囃子の太鼓のリズムについてなんですが、いちおう、この街で生まれ育ち、それも毎年のねぶた運行のメイン・コースであった土手町に、途中、東京にいた時期を除いてもおよそ四十年暮らしておったワケで、そこで馴れ親しんだ「ねぶた囃子」というもの、それがもはや肉体化しておる、と自分では思っていますが、どうもそれがここ何年か、ん?と思うよなリズム・バターンやら「解釈」に出会うようになっております。

とある団体では、一部にアフター・ビートを組み込んで「えええっ?」てなグライド感を出しておりました。まあ、個人的にはなかなかイイ感じ!と思うんですが、でも、「伝統的」なリズムを守る、っちゅ〜観点からしたらど一なんでしょ?ワタシは嫌いじゃあないけど、ひとによっちゃあ「なんだそりゃあ!」と怒っちゃうかもしれませんねえ。

でも、ワタシが「それよりも」気になったのは、強弱の付けすぎ、と言うか、ちょっと離れたとこで聞いてると、「ねぶた嘲子」とは思えないくらい「中抜け」してて、非常に居心地の悪い太鼓を叩くとこが二・三あった、ってえことでしょか。

いったい、どうゆう解釈でそうなってるのかは知りませんが、あんまり変だから、わざわざ太鼓を見に行ってみたら、強弱なんて域をカンゼンに逸脱してて、とある部分では「まったく叩かないように意識的にしている」のを目撃してしまいました。
う一ん、いったいどうゆうコンキョがあって斯様な叩き方になっておるのでしょ?

ま、伝統なんて、徐々に変化してくのが「当たり前」で、なんだって死守すりゃいいってもんじゃありませんから、そうやって少しずつ姿を変えてゆくのかもしれませんね⋯

さて、ほんとうは今夜、イチバンのお目当てであった下新町(しもあらまち)の「おんな担ぎねぶた」の華麗な足さばきで優雅に揺れる姿を、きちんと動画で撮影しよう、と意気込んでおったのですが、ザンネン、本日は担ぎ手が揃わなかったらしく、下についた車輪を使って、コロコロと曳かれてゆく姿しか見られませんでした(あ、昨日のトップ画像「石打無用」と書かれた担ぎネブタがソレ)。

あれって一種の無形文化財みたいなもんだな、と思うので、一度、きちんと収録しておきたいものでございます。
って、そゆことはエヌエッチケがやれ!ってもんかもな。




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