Misguided

You're not the Creator of Universe


08-10-18 SAT.





環境のことを考える、それは悪いことじゃありません。

でも、世界全体が経済崩壊の影に脅え、あるいはテロの恐怖にすくんでいるときには、やはり「それどころじゃない」という流れになってしまいます。
失礼ながら「地球を⋯」などと言う前に解消しなければならない問題は山積みですが?
それは人間が人間としてちゃんと尊重されているか?尊厳が損なわれていないか?さらには、その基本となる生存を保障できているかのか?

まずはそのベーシックなところが「最優先」されるべきでしょう。
エコロジー自体は邪教でもなんでもないのですが、ナゼか狂信者が紛れ込んでるんだよな⋯

ひところは、やたらに潔癖(?)な、言いかたを変えればエキセントリックな「活動家(?)」みたいなひとが、取り組み始めたばかりのビギナー(?)を「甘い!」とか「なっとらん!」と叱責しまくって、せっかく少しは興味を持ってくれたひとたちまで「そんなメンド臭いんならヤメる」と、逃げ出させるよなことをしてたのをケッコウ見たものです。
とゆうことはケッキョク「ワタシはスゴい!」とマウントとりたいだけのバカモノでしかないよ。
な〜にがエコだ!ホントにそれにイノチ賭けてるんならワラ焼き煙害をヤメるように農家とケンカして来いよ!そんな度胸も根性も無いくせに!

そうゆう「なまじハンバにしか出来ないんだったらしないほうがマシ」みたいな独善的な考え方ってのは、一見リッパだ、と「自分では」誤解してるんでしょうけど、出来るとこだけでもいいから、という運動に比べたら社会に及ぼす影響は「必ず」ゼッタイに総量として少なくなるんだよね。
だってヤなヤツ!ちゅう反発を「せっせと作り出してる」だけだから!
理論的に先鋭化し、どんな異論をも打ち負かすくらいになったら、そりゃ本人は気分イイかもしんないけど、周りからは確実に敬遠されちゃう。
他人の揚げ足取りするより実際に改革して見せろ!出来るか?

そうそう、エコロジーに限らず「ハンバな同情は」とか「ハンパな援助は」とか、そうゆうのをすべて「甘い!」なんて言うと、ちょっとアタマ良さそに思ってるかもしれんけど、「ハンバだったら、しないほうがマシ」なんてこと言うんなら、誰だって、なんにも出来なくなってしまう。
だってニンゲンのすることだもの、完璧なことなんて「ありえない」。必ずハンパ!

みんな、それぞれに中途半端、でも、そのなかで出来ることはしよう、って思っているんだから。
ハンバでも「ちょっとだけ」でもいい。なんにもしないよりはゼッタイに「いい」んだよ。

そんな簡単なことも判らないクセにエラそうに説教すんな!

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