Welfare problem

2002-12-24
クリスマスは明日だってえのに、なんだか街じゅう今日がピークみたいですよ。
ワタクシ、クリスチャンでもないのにクリスマスでハシャぎまくる世間つーもんに、いささか苦々しい思いを抱いておったのでございますが、先ほどローカル FM に出演しておられたカソリックの神父さまの「お言葉」に、多少、考えを改めねばならんかも?と思いましたですよ。
たしかに、クリスマスそのものは、キリスト教から始まったものではあっても、もはや「宗教」を超えた世俗行事なのだそうです。したがって「クリスマス」の名のもとに、世の中の人たちが「楽しい」想いをしてくれればそれでいいのだ、と。

ふむ、さすがカソリック、実に寛容ですねえ、プロテスタントではそうもいくまいよ・・・
なんて思ってたら、法王庁ではヨハネ・パウロ 2世が、商業主義によって歪められた「クリスマス」に警告を発しておりました。
楽しむぶんにはキリスト教信者じゃなくてもいいけど、それをいいことに、クリスマスで金儲けをしよう、なんてヤカラは許さんぞう、ってワケかな?
たしかに、プレゼントを贈りっこするのも悪くはないけど、法王としては、ちったあ世の中の貧しい人々を救う浄財にもまわしてもらいたい、ってことなんでしょうね。

少なくとも「喜捨」に関しては、イスラーム教信者のほうが「日常化」しています。
現代のキリスト教社会では(もしかすると日本から察すると仏教社会でも?)「貧困」は本人の「怠慢」や「不徳」によるもの、と見なされているようなフシがあります。
初期にあっては「持たざる」事が、むしろ救いであるかのような教義の流れもあったハズなのに、資本主義(というよりは商業「至上」主義と言うべきか?)と結びつくことによって成功「する・しない」は能力の問題だ、という価値観が定着し、それ故に、落伍者は、自らの存在意義にまで疑義を抱くような風潮が蔓延しています。
このような社会にあっては、喜捨を受けることが即、負い目のあること、という意識が先行し、「施し」を受ける側は卑屈に、与える側は尊大になる傾向を持っています。
ところが、イスラームの社会にあっては、「喜捨」とは受ける側も与える側も、それが「当然」という立場にあります。
おそらく、その時々の貧富の差というものが、単に「神のご意志」による不可解にして、不可避の「変動」である、ということなのでしょうか?
いま富める者も、それが自分の能力によるものだ、という思い上がりがないだけに、貧しいものを見下したりはしないのかもしれません。

一方、アメリカの実業界の「成功者」たちは、所有する「富」を、自分の「人間としての資質」を表すもの、と考えているようですから、彼らの言う「社会の底辺」に対しての視線はきわめて冷たいものとなります。
「あんなヤツらのために、なぜカネ出さなきゃならんのじゃ?」が正直なキモチでしょう。
そして困ったことに、その人間観は日本の行政機関にも浸透しつつあるようで、生活保護費の一律「切り下げ」を画策しているようです。
行政側は「なんであんなヤツが生活保護受けてブラブラしてられるんだ?」という「マジメに働いている」ヒトからの反発が・・・ ということを口実にしているようですが、それは一部の受給者のケースであって、現実に肉体的な理由などから生活保護無しでは生きて行けない人々に対してまで同じ理屈で切り捨てるのは「福祉理念」の放棄でしょう。
このリストラの中で、追い詰められて自殺していく中高年が著しく増加しているのも、「富イコール人格」、という誤った価値観が、彼らの「救い」を奪っていることにあります。
もはや、そのヒトの「富」と、そのヒトの「人格」とは関係していない、というのは周囲で不幸にもリストラにあったり、会社の倒産によって失業した人たちを見れば判るでしょう。「それもこれも、あなたの徳が足りないせいだ」なんて言う詭弁は、もういい加減にしていただきたい。
病気だってそうです。あなたの「行い」に至らないところがあったから、その苦しみがあるのです、みたいな戯言ももう沢山。
心がけがいくら良くても、どんなに優れた人格者でも、ウィルスに感染すれば発病する可能性はあるし、どんな人でもアラを探せば言いたてられるところはありますから、それを、さも病の理由であるかのように言うなら誰だって出来ますからね。

あ、それと、ひところ「彼らはクリスマスだ、って知ってるだろうか?」なんて歌が国際的なチャリティのテーマとして歌われてたことがありましたが、それって、イスラーム圏では「余計なお世話」です。
イスラーム教、ってのは、実はキリスト教の「続き」、あるいは「改訂版」、「グレード・アップ・ヴァージョン」なのです。ま、喜捨の件なんか見ますと、そうに違いない、なんて思えても来ますが、キリスト教社会がイスラームに対して持つ「敵意」の底には、イスラームのその「言いぐさ」があるのでしょう。
一般のイメージとは異なり、イスラームはキリスト教を包括しているのです。
これは後発の宗教が先発の宗教の教義や神様までも「取り込んで」行く事例がゾロアスターやバラモンと仏教、さらにヒンズー教などの相関にも見られるのと共通しております。
ま、いまどき、イスラームの肩持ってる、なんて思われたらハクガイされちゃうかも、なんでこんくらいにしとこ。あたしゃあワリと宗教には凝らない方なんですよ。近年ハバをきかしてる「科学」ってえ宗教にもね。

ととと・・・クリスマスからずいぶん離れちゃったぞ。
いっそのこと、クリスマスを表す「全ての」記号、シンボル、マークに「クリスマス印税」を掛けて、その収益を世界中の貧困にあえぐ人たちを救済するために使っちゃどうでしょ?
これ、ホントにやったら日本だけでモノ凄〜い額になりますぜ。
permalink No.249

Search Form