Memories

Lost rails


09-05-09 SAT.





かつて、奥羽本線の弘前からふたつ青森寄りにある、五能線へと別れていく分岐点でもある駅、川部から、途中「前田屋敷」という駅を経て黒石市まで行っていた「国鉄の」路線がありました。
もちろん(?)単線で、これまた当然のことながら電化などされていませんでしたから「キハ」、つまりディーゼル車輛が往復していたものです。

実は、たった一度だけ黒石からの帰りに(つまり往きは弘南鉄道の電車で、復りだけその川部 ─ 黒石線に)乗った記憶もあるのですが、根が「電車好き」なものですから、ディーゼルのあの臭気に、乗った早々イヤになり、やっぱりヤメりゃよかった!とハゲしく後悔したことだけは覚えています。もっとも、たった二区間ですからスグに川部に着いたのが救いだったかも⋯

その、かっての川部 ─ 黒石線は国鉄時代から採算性が悪く、ついに手放してそれを現在の弘南鉄道が「引き受け」一時両方を運行していたのですが、結局「もてあまし」とうとう廃線、ということになったのでした。
長いこと、その路床は放置されていたのですが、ここ最近になって、その跡地にアスファルト舗装された「ちゃんとした」道路が作られてしまいました。
もともと、別にそんな思い入れがあったワケでもないのですが、いざ無くなってみると気になるというか、なんとなく見ておかなくちゃ、とカメラ持参で行ってみましたよ。

トップ画像は当時の線路が用水路を渡る小さな橋の痕跡で、ここは車道化されずアスファルト舗装は軽く迂回しておりました。
なんたってたった一度しかのったことがない路線ですからディーゼル臭かったちゅう思い出しかありません。車窓の眺めはず〜っと平坦な水田地帯が続いていただけだったと思います。
大鰐線はけっこう起伏もあり、周りの眺めも大きく変化するのですが、ここの場合、両端の駅以外はず〜っと田んぼですからねえ⋯
ですが、さすがは鉄道の線路跡だけに「やたら真っ直ぐ」な絵に描いたような直線道路になっちゃってますよ。

ワタシがたった一度だけ乗ったのは黒石から川部へ、の方ですからあんまり意識もしてませんでしたが、逆向きのに乗ってたら、しかも最前列で運転台越しに前方が見られていたら「わ〜!スゲえ!真正面が八甲田連峰じゃん!」なんて感心してたんでしょうけど、それ今ごろ気づいても「もう遅いっ!」なんですね。
まあもともとこの路線は開通した当初(大正元年か二年?)っから採算性はキビシかったみたいですから廃止も時間の問題だったんでしょうね。

なんたって、終点の黒石ですが、市としては最低限の人口しかなかったらしいので、当然利用者も限られてるとこに、黒石から(距離的には大迂回してるんだけど)直接「弘前駅」に行ける弘南鉄道に客も奪われて(あ、川部 ─ 黒石線では黒石から川辺までは二駅なので早いけど、川辺の駅で弘前に向かう連絡列車を待つ時間がムダになり、下手すると弘南鉄道のほうが弘前市街には先に着ける!)ますます採算性が悪化し、となると減便しちゃえ、となってさらに不便になる⋯

どうもねえ、ワタクシの知ってる範囲ではその川部 ─ 黒石線で通学してた、なんて同年代の人ってのに今だに出会ったことありません。また途中にたったひとつだけあった駅「前田屋敷」ってのもあまり印象に残ってないのですが、聞いたところでは簡便な駅舎だったみたい⋯
いまになってその線路跡が道路になった言われても「はあ⋯」ちゅう、なんとも手応えのない返ししか出来ないのですが、そんな路線でも開通したときには華々しく祝われておったんでしょうかねえ。


運転台から正面に見えていたであろう八甲田連峰⋯

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