伊勢海老 BLUES

2003-01-04
お正月の三日を過ぎたので、たぶん今日あたりからはやってるだろう、ってんで「ぷ」さんとふたり、弘前からは北西に直線距離で約 20km 離れている森田村の一番食堂に、2003年の「初ラーメン」を食べに行ってまいりました(ちなみに 2002年の「おさめ」のラーメンは田澤食堂でございます)。

弘前→鯵ヶ沢(あじがさわ)線は路面の雪が轍の間に残っており、ユダンしてるとそれでハンドルをとられちゃうんで、あまりスピードは出せませんが、こんな季節に「海を見に」行くヤツなんて少ないせいか、交通量もさほど多くなく、タラタラ行けるんでかえって気楽なもんです。
やがて、右・森田村・円形劇場、なんて案内の看板のあるところで右折し、黒毛和牛の牧場を右に見て村の中心部を通る旧道に入ると、うひゃあ〜、さすが交通量が少ない(ってよりは少な過ぎ?)だけあって、もんのスゴい轍と雪の量です。でも、一番食堂はすぐそこですから、ま、えっとしょ。

う〜む、やはりここのラーメン、ワタシにゃあいっちゃん合ってるなあ。
もうスープの旨味がハンパじゃあないんですよ。しかも、どれかひとつが突出している、ということもなく、混然一体となって奥行きのある滋味を醸し出しているんですよね。
麺そのものは、こー言っちゃあなんですが、まあどこにでもある、フツーの麺、という感じで、「麺」にコダワリがおありのようなS氏あたりに言わせりゃ、「問題外」てなコトになるのかもしれませんが、ワタシの場合、蕎麦でもそうですが、ツユ、あるいはスープとのコンビネーションで「しか」評価しないんで、「麺」に比重が偏ってるものは蕎麦だってラーメンだってウドンだって「低い」得点しか得られないんで〜す。

ま、逆にスープやツユにメチャメチャ凝ってて、麺がドヨヨ〜ン、なんてのも困るワケでして、そこら、バランスのとり方も「ウデ」のうち、でしょうね。

各局の正月特番に「ラーメン」がよく登場してましたが、どれも番組のネタになるほどですから、かなりの「存在感」を発揮してましたね。
で、考えたんですが、どのラーメンも「うぉ〜!○○のラーメン喰ったぞ!」っていう「実感」を与えるための演出(味の面でもね)が実に過剰なんじゃないのかな?
それだけで30分くらいは「語れる」ほどの強い印象を焼き付けるのも、「行列の出来るラーメン」の資質のひとつなのかもしれません。
そのイミでは、そんな「ドラマティック(?)なラーメン」ってのはワタクシの考える「旨いラーメン」とは、完全にベクトルを異にしていますね。

ところでテレ朝の新春特番?みたいので女性タレントにカツ・カレーや海老天婦羅うどんを作らせて、それ採点する、っちゅーのをやってましたが、なんで、こんな「食べ物」を粗末にするような企画をやるんでしょね?
だいたい海老の天婦羅に、活き伊勢海老を使わせること自体、ムリでしょ。
ゼッタイ車海老の方がウマいに決まってるのにさあ。
それをリッパな伊勢海老が見るまにジャンク・フード化していくんですぜ。
まったく、この寒空の下、ヴォランティアの炊き出しに並んでるホームレスだっていっぱいいるってえのに、いくら正月特番だからって、こんなことしてちゃダメでしょ。
そういやあテレ朝って、他にもヴァラエティ番組中で、街角でキャッチしてきた(って触れ込みだけど、ありゃあ「仕込み」だね)女性に、いきなり指示したメニューを作らせる、ってえコーナーやったりしてたよな。
いやあイマのトコ、食べ物をソマツにすることじゃあ日本一だぞ。

食べ物を投げつけたり落としたり、祖末にしてるシーンはよく問題になったりしてるようですが、ワタシゃあ、こんな「ちゃんとした」食材を、わざわざマズくする「企画」がイチバン、腹立ちますね。
正しく扱えば、美味しくいただけるものを、面白半分で料理の出来ない人間にムリヤリ作らせて「とても喰えたもんじゃない」モノにしちまう。
そうなるのは判ってるのにさあ。

料理ってのは「手順」というアルゴリズムを理解しなきゃあ出来ない作業ですから、いくら「完成品」を食べたことがあっても、再現することなんて出来ません。
だから、料理の出来る人、ってのは、その辺に「興味があって」しかも、それを「自分で調べ、覚えていられる」人なのです。

一方には、食べることに興味はあっても、それを作ることにはまったく興味の無い人もいるワケで、料理が出来ないからって「味オンチ」ってことじゃありません。
だから「作れない」コトを嘲笑するような企画はヤメてほしいもんです。
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