No more star!

2003-01-07
さすがに昨日の日記のヒコーキについちゃあ「反応ナシ」ですねえ。
ま、フダンここ読んでいただいてる方々は(たぶん)音楽寄りだと思うんで、ヒコーキ、それも日本じゃあまりお目にかかれないようなマイナー(ってワケじゃないんですがね、ホントは)な機種の話題じゃ、コメントのしようも無いでしょ。

「映画」についてなら、皆様それぞれの思い入れもおありでしょうが、ワタクシそっちはあまり得意じゃない、ってゆうか、映画マニアが聞いたら「激怒」すると思いますが、映画マニアの常識(?)「テレビなんてのは映画に比べ、遥かに格下のメディアである」なんて考えには真っ向から対立する「テレビも映画も一緒じゃん!」ってスタンスなんで、まあ、ハナシにならないでしょうねえ。

テレビばっか見てないで、タマにゃあ映画館の大画面で「美しい」映像を見なさい!なんてのが映像業界(?)の「序列」なんでしょうけど、それは手前勝手な「身びいき」つーもんでございます。
映画もテレビも「どちらも」ヴァーチャルなものです。
そしたら、よりダマシのキツい方が「ツミも深い」ってワケでしょ。
え?そのリクツは判らねえ?あ、気になさらないでくださいませ、それがなんのこったか判らないってえ善良な方々は「映画館」で束の間の「夢」をお楽しみくださいな。

で、ワタシとしちゃあ、そーゆーニンシキですから、ある夫婦が貧困生活の中でも「映画を観ることだけは欠かさなかった」と「誇らしげ」に言ってるのを知って、ああ、このヒトたちにとっちゃ「映画程度」が「文化」なのね、と憐れんでしまったくらいでございます。
ただ単に「カネ無かったけど、映画だけは好きだったんでヤメられませんでしたねえ」って恥ずかしそーに言うんなら、CDビンボー、ギター・ビンボーと一緒で「微笑ましい」で終るんですが、「誇らしげに」言うことじゃないでしょ。本代は惜しまなかった!ってんならともかく。

ま、たしかにテレビも「玉石混交」ですから、なかにゃあコドモに科学知識を普及する、なんてホザいて、実際には核燃料サイクルを「正当化」しよう、なんていうチョー悪質な番組や、自局の系列会社の所有する職業野球チームを宣伝し、野球全体を牛耳ろうとする謀略によって行われているヨイショ中継番組なんてのもあるんで、問題もあるんですが。

映画至上主義者たちはその辺じゃなく、ヴァラエティ番組の「低俗さ」あたりを衝いたりしますが、そんなコト言い出したら、映画にだって「こんなのを引きあいに出して映画を語らないでくれ!」ってヒドいのあるでしょ?
でも、モンダイは低俗であるコトなんかじゃなく、教育的に見せかけて危険思想(核は再生可能な「安全」なエネルギーです、なんてヤツね)を刷り込もうとする「真」の悪質番組の存在であって、それに気付かず、低俗番組を云々すること自体「本質」を見失っている証拠でしょが。

ま、ワタクシ個人としては「低俗」な番組もまた現実のニホンの反映なんで、しっかり見てますよ。CMだって現実の一断面ですからね。
イラクや北朝鮮がどう、ってより、どうやら髪の美しさや「お肌」のキメなんかが「世の中でイチバン大切なコト」なんだ、ってえニホンのスタンスがよ〜く判りますから。

ただ、ドラマだけはほとんど見ませんねえ。「わざとら」じゃなく笑えるのがあればベツですが。
それと出演者ですね。どのドラマも同じよな顔ぶれでしょ?
そうじゃなく、初めて見るのに存在感ある、って役者さがせよ。

はるかムカシ映画愛好会みたいのに関わってた時期、あの大根役者・桃井かおりの初主演作とかゆう「もう頬杖はつかない」とかっての観たんですが、その時に併映された、カナダの映像作家が京都滞在中に作った「Keiko」って映画が実に衝撃的で、桃井かおりなんてブっ飛んじゃいましたね。
ゼンブ出演者はシロウト(たぶん、ね。もしかすっと、京都の地味な劇団のヒトかもしんないけど)で、見知った顔が一人もいないのに(いないから、か?)とてもインパクトのある作品になってましたっけ。
ケッキョク、テレビも映画も、あのスター・タレントが見たい!ってえファンにサーヴィスするためのエンターテインメント、としてドラマを考えてるから、ワタシの望む「様々な物語」じゃなくなってるんだろな。

ETVが天テレの後でやってる「あっちの」ドラマが新鮮なのは、初めて見る顔ばっかで成り立ってるからなんだよね。
いまのとこ、ニホンのドラマって、映画でもテレビでも、それに出てるスターやタレントに依存しきってるからつまんないのかもな〜。いっそ視聴率のとれるタレント、とか、観客動員の出来るスター、なんてのを一切ヤメちゃって、ハナシの面白さだけでショーブする、ってのもタマにやってみたら?
って、やるワケないか。
permalink No.263

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