Good teacher,
bad teacher


2003-02-07
スルドい切り口で日常の中の不条理をとりあげてくれるぶぅちゃん(大好きだよん)の「教師」のお話しが「いい」です。
ワタシの知り合いでも、教師を目指していたのに「教育委員会」と意見の相違(?)があったのか、ついに採用されなかった人がいます。
ヒソカに、こんな人にこそ教師になってほしい、と思っていたのですが、なかなか世の中って「見る目が無い」んだなーって感じましたね。

もちろん教師ってのがみんなロクでもないワケじゃありません。
でも、「教師」ということで周囲の眼もキビシくなるのは確かです。
以前、知り合いのお店で、教師仲間が集まって、転任してゆくヒトのお別れパーティみたいのをやったんですが、後でお店の方が嘆いてましたよ。
まず行儀が悪くて、無理な注文ばかりする、なんとかそれに応えても感謝ひとつされず、散らかし放題、そしてなによりアタマに来たのは、「教師仲間」だけを見てて、お店のスタッフには「人格」なぞ無い、といった「エリート意識」だったそうです。
これはもしかするとキョクタンな例かもしれませんが、そのお店の方は「ガッコのセンセってみんなタチ悪い」って言ってましたね。

フダン、PTAのクソババ・・・ あ、失礼、保護者たちとのやりとりに神経をスリ減らしているから、そこらとカンケー無い場では、ついその反動が出て傍若無人の振舞いになっちゃうんでしょか?
ま、教師と言っても実に様々ですからね、自分が学生だったころのことを思い返しても「いい先生」もいれば「やな先生」もいました。
生徒に接することを自分の中で「マニュアル化」して「生徒」の内面を見ない先生や、ハナから「先生は生徒より、どのような意味においてもスグレている」と信じているセンセ。ま、ホントにスグレているんならそれもいい、って考え方もあるでしょうけど、ワタシなんかにしてみたら、それを「態度に出してる」時点でもはや「スグれてない!」思うんですけどね。

教師に限らず、最後はその人のパーソナリティに左右されるとは思いますよ。ヤなヤツはどんな職業についてもヤなヤツであり続けそうです。でも、教師となると、なまじ周囲からセンセ、センセと尊重される立場だけに、ロクでもないのは余計にロクでもなくなるんじゃないのかなあ?
そして周囲も「教師」だから、と「一段」高いスタンダードを要求する。
ま、なんにしても「イバる」のにロクなのはいない、ってのがワタシの基本姿勢です。

だから「イバり」の匂いがするモノも嫌い。クルマだったら「ベンツ」なんてのがそうですね。でもあげる、って言われたらって?そりゃあ貰いますよ。で、すぐ売り払ってなるべく程度のいいホンダ・ビート買うよん。それにギターとアンプ、CD ごっそり!
だって世の中、そんだけおカネがあったら、もっといっぱい楽しめるコトあるでしょ?それがカッコつけるためだけ(?)に余分なカネ出すってのは、ロクな生き甲斐も無いニンゲンだよあたしゃあ、って言ってるようなもんでしょ。
やりたいコト有るニンゲンはその分もそっちに注ぎ込みますよ。そのほーがゼッタイ楽しいもの。
軽とベンツの価格差のぶんでギターとアンプ、どんだけ買えることか!
CD 何枚買えることか!
ライヴに何回行けることか!
もひとつ、何回寿家でうな重が喰えるか!

ってありゃ?最初はこんな話しじゃなかったんだけどなあ・・・ま、いっか?
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