百貨店

2003-04-04

以前から、弘前のような公共交通機関の整備されていない地方都市では、駐車の問題から、旧来の中心市街地の商店街が、郊外の、広い無料駐車場を持つ大型店舗に客を奪われて閉業に追い込まれている、ということを繰り返し書いて来ましたが、今度は弘前から国道7号線とJR奥羽本線をさらに 40km下った(でも、地図上では「北上」だけどね)終点の地、青森市でも、長い歴史を持つデパート、と言うよりは「百貨店」という名がふさわしい「松木屋」が、ついに今月23日をもって、閉店することになったようです。

一時期、西武セゾンとも提携し、「無印良品」のコーナーを設けたり(ただし、後に無印はもっと駅寄りに独立店舗として、脱出?)、と健闘もしていたのですが、後発のカネ長(ちょう)タケダ・デパート(東北一円のデパートの集合、DACグループを通じて「VIVRE」となり、MYCALグループの零落後は「SAKURANO」として再出発しています)や、西にある五所川原市から始まり、弘前に進出し、さらに青森市にも店舗を構えた中三(なかさん)デパートなどの追い上げにあって市中心部でのシェア争いで苦戦し始めるとともに、郊外型の大型店舗による「空洞化」の波もモロにかぶって、店舗リニューアルの余力も無く、加速度的に下降線を辿っていったもののようです。

時期的にはもっと早かったのですが、弘前市でも、最も古くからあった百貨店、「カクハみやかわ」が、とうに姿を消しています。当時、市内で一番の繁華街だった土手町(どてまち)の弘前城よりにあった店舗は、市内初のエスカレーター(なんと、今でいうプレイランド、つまり子供の遊び場に「乗り物」として設置されたのです)導入、などという一面もありましたが、あまりに「迷路」化しており、「空間認識」にはかなり自信のあるワタクシも、度重なる改装、改築の逐一を記憶しきれるものではなく、ムカシを知る友人などと話していても、いや、その階段は後から出来たんだ。とか、中二階にも食堂あったよな?とか、4階の食堂って最後まであったんだっけか?なんて「大混乱」でございます。ま、建物自体が「迷路」みたいなもので、そこタンケンするのがとても楽しかったものですが。

とはいえ、商業店舗としては天井が低く、狭く暗く夏は暑く(なんたって「氷柱」が冷房だった!)、しかもフロア構成がデタラメで、何がどこにあるのかワケ判らん、ってえお店でしたから、これはもう後発のキレイな店舗構成の他のデパートに客も奪われていったようです。
イッパツ逆転を狙って構想されたテナントによるファッション・センター化も、プロパーに足を掬われたようなカタチでザセツ。ついにその歴史を閉じることとなったのでした。

そして、そのようなイキサツで生まれた「ハイローザ」ビルも、当然の酬い(?)か、売上不振から櫛の歯が抜けるようにテナントの流出・撤退が止まらず、ついにはビル自体も撤去され、サラ地として次ぎの運命を待っているもののようです。

しかし、弘前の場合、中土手町から下土手町にかけて「ヤマダイ」とかってのと、もひとつマルコウアカイシ(?)とかゆうのもあり、そしてナカサンも隣り合ったナカニシ(その前にはなんか違う名前だったような気もするなあ・・・)とかって別なデパートを吸収したんじゃなかったっけ?そして郊外に移転する前のカネ長タケダデパート。つまり、およそ 500mほどの一本の通りに、6店も「デパート」を標榜する店があり、他にスーパーも 3店あったんだから、当時は「文字通り」商業の中心地だったんですねえ。
それがいまやデパートと、なんとか踏み止まっているスーパーが各一軒、縮小して名ばかりになっちゃった「百貨店」に小さな食品市場が 2つ。ちょっと歩けば、あちこちに「貸店舗」ってゆう、よくある地方都市の旧中心街の様相になっております。

聞けば青森県の東端にある八戸市でも、中心部にあったイトーヨーカドーが閉店しております。これは、郊外にもっと大きな店舗を作ったため、そちらに集中するため、と言えなくもないですが、それにしても、商業的には大きなプレゼンスを持っていた同店の撤退は、周辺の商店にとってはモロ「逆風」でしょう。
どうやら、中心部から周辺部への「拡散」は、こと地方の中小都市で見る限り、今後もさらに激化してゆくのではないでしょうか。それにしても、かっての「繁華街」が、どんどん「ゴースト・タウン化」してゆく趨勢は誰にも阻むことが出来ないのでしょうかね?

たまに、「昭和初期の街並みを復元」なんて事業で、街自体の観光価値を高めよう、なんて自治体もあるようで、そこそこ「いい味」出しているようですが、弘前の商店街じゃ、いまさら歴史的景観保存に舵を切り直すほどの「面影」なんてほとんど残ってないしな⋯
permalink No.349

Search Form