KOTOBUKI-YA Again

2003-04-18

やや南東寄りの風が強いとはいえ、春らしく、やや霞みがかった晴天で、気温も上昇しています。そんな弘前を後にして国道7号線を北上し、浪岡(なみおか)から右に逸れて青森空港に向かいました。途中に用事があったので、少し早めに出たのですが、案外、カンタンに片付いちまったもんだから、正味1時間早く空港に着いてしまいましたよ。
ま、ギリギリで着くのが嫌いなタチなんで、いっつもヨユーたっぷりで行動するクセがついてるせーもあって、早いぶんには一向に構いません。
空港ビル内にあるレストランを喫茶店がわりに、こーして「日記」を書いていられるってワケでして、かなりヨユーこいてますねえ。

弘前を出る際に、フと思いついて、地元の和菓子なんぞ、軽く手土産にしよかいのう?と、一旦、寿々炉(すずろ)っていう、つぶあんを固めたのにしかけたのですが、アブナいとこで、あっ!ぶぅちゃん、あんこ嫌いだった!と記憶がフラッシュ・バック。あぶねえあぶねえ⋯
てなワケで、ワタクシのHPでも紹介してる違うお菓子にスイッチ、でございます。いくらなんでも「あんこを固めた=100%あんこ」のお菓子じゃ「ん?ケンカ売ってる?」なんてことになっちゃいますからねん。
弘房のチーどら、つまり「チーズ・クリームを挟んだドラ焼きでございます。

さて、例によってチェック・イン・ゲートのセキュリティ・チェックがキビしくなっているコトをじぇんじぇんコウリョせずにダラダラと来るドあほのおかげで、出発は10分ほど遅れましたが、これでも最初のころよりゃあ良くなってます。
離陸してすぐ、まるで国道7号線を目安に飛んでるみたいに、浪岡上空から弘前上空と辿っていましたが秋田県境に近付くにつれ、地表は薄い雲の下にかすれて行き、ついには雲海と化しちゃったんで、そっからは、さて、いったいどの辺りを飛んでいるものやら、さっぱワカラん、てな具合になりました。
とは言ってもその途中までのルートから、おそらく山形市の上空を通過する日本海側ルートだな、ってのはソーゾーつきますが。
時々白い雲を透かして、地表らしきものがみえたりもしてるんですが、識別出来るのは鳥海山などの「大物」ぐらいですね。さすがに雲海の上にまで、その優雅な姿を表しております。ってえことはこっから山形県ね?しかし下は一面の雲でなにがなにやら判りまへん。ふうむ、あの雲の乱れは出羽三山じゃな?
しかし最上川は識別できず。春は地表面近くが野焼きなどの煙でよけー視界が悪いのよねん。そー言えば、離陸直後、五所川原方面の津軽平野一帯にかけて、野焼きの煙が大量にたなびいておりましたねえ。ま、秋の収穫後の稲ワラやモミを燃やすのに比べれば、まだ「マシ」じゃああるんですが・・・

それでも機体がやや進路を左にとり裏磐梯から猪苗代湖の東を掠めるあたりからは、視界も改善され、会津から湖面までが一望できました。ううむ、あの辺をビートで走ったのは’97年の秋、9月でしたね。

さて、無事、羽田に到着し、モノレールで浜松町、歩いて日の出桟橋へ向かい、浅草への水上バスです。
やっぱりいいですねえ、船は。勝鬨橋から始まって佃大橋、中央大橋、そして右手にもおおきな水路を見つつも永代橋をくぐり、さらに隅田川大橋をくぐったとこで左手にでっかいビルがあるんですが「門」の字形に下に空間があるのねん、そして清洲橋、新大橋(あ、これって蛎殻町から錦糸町南口に至る「新大橋通り」の橋なのかな?つーことはさらに行くと江戸川区に入って、そするとエピちゃんのお家あるとこだね。
やがて両国橋、JR総武線鉄橋もくぐると蔵前橋、そして厩橋、駒形橋とくぐってくといよいよ吾妻橋だあね。夕暮れとともに明かりを増す両岸を眺めながら堪能した 35分間でした。
ゆるりと川風に吹かれながら寿家に向かいます。いやあ、ケッコー暑いなあ。
寿家に着いて、入り口近くにいた男女が、なんと十字屋さんと雪乃さんでした。自己紹介をされてビックリ、でございました。お初にお目にかかるのですが、お二人とも感じが良くて安心いたしました。ついつい田澤食堂ネタで盛り上がったのは申すまでもございません。
するうち、きむきむ登場!さらにぶぅちゃんも大阪から駆けつけていただき、楽しい「おハナシ」(え?背筋に寒気が走る?気のせいでしょ、気のせい!)が繰り広げられたのでございます。

さあ明日は公開セッション!気合入れて遊びましょ!

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