あなたがたが
かんだ・・・?


2003-05-13
なんとゆうか、男にとっては女性シンガー、女にとっては男性シンガーで、それぞれ、その人の一生の嗜好を決定してしまうマザー・ヴォイス(あ、女性にとっては「ファザー・ヴォイス」かな?)みたいなものがあるような気がするのですが・・・
例えばワタクシの場合、女性ヴォーカルではソプラノやメゾ・ソプラノの音域の唄を、「美しい」と思うコトもあるのですが、でも、それはヨソ行きの「時間」なんですね。たまにちゃうとこも覗いてみっか?的な。
やはり、ホっとする、くつろげる、ココロを柔らかく出来る、と言ったらコントラ・アルトあるいはアルトの音域なのです。で、別に意識することもなく、やはり低い声の女性ヴォーカルっていいよな〜、と言ってるだけだったのですが、今日の昼、やや遅めの昼食のあと、そこでついてたテレ朝の「徹子の部屋」ってのに伊東ユカリが出演しておりまして、どうやら娘も歌手デビューとかで、母娘共演の曲ってのを流していたのですが、それを聴いて、思わず遠〜い記憶がフラッシュ・バック!
およそ、今を去ること 41年前(おいおい、その時生まれたコドモが今じゃリッパな「おっさん」「おばはん」だぜ!)、ワタクシがまだ中学生だった頃、アメリカン・ポップスを歌うオンナのコ、として森山加代子(あ、このヒトはヨーロピアン・ポップスだったかな?)なんかとともに外国、それも主に「アメリカ」の匂いのする楽曲をどんどん紹介してくれたのが伊東ゆかりだったのです。(え?中尾ミエ?あいつぁムカシっから唄ヘタで、格ははるか下でしたねえ。今もなっちゃないけど)

そういったところばっかり聴いてたもんだから、その延長(?)としてヘレン・シャピロやリッキー・ネルソンなんて「モロな」欧米のポップスに馴染んで行けたのでしょう。
たしか米軍基地内のクラブでも歌っていた、とかゆう伊東ゆかりの歌は、当時、いわゆる思春期にさしかかりハナ息荒い中学生にとっては「声」の永遠のマドンナとなったもののようです。
久しぶりに聴いた彼女の歌は、やはり、と言うか、相変わらず低い音域を素直に活かし、角の無いまろやかな発声で、一瞬にして、「ああっ!この声だ!ワタシにとっての女声のベンチ・マーク!」と再確認させてくれました。

その伊東ゆかりも、こちらがホンモノのアメリカン・ポップスにハマり始め、さらに彼女自身も「小指の〜」路線、いわゆる歌謡曲(?)に集中していったこともあって、次第に意識から消えていったのでございます。
でも、久しぶりに聴く彼女の歌はやはり「いい」ものでした。ま、その採り上げる曲の傾向であるとか、そのヘンの志向性にいささか距離を感じはしますが、ただ声を聴いてるだけでも、満足できるって存在はやはりこの人だけかもしれません。
ううむ、やはり「三つ児の魂、百まで」なんてゆーけど、人生で最初に触れた「アメリカ〜ン」なテイストを与えてくれた彼女が「意識の深〜いところ」でワタシの好みってヤツを操ってたんだな?
そーいえば話し言葉でも、低い声の女性が好みでございます。NHKのアナウンサーで言えば加賀美さんや黒田あゆみ、反対にクボジュンなんて、あの幼稚園の保母さんみたいな声、大っ嫌いでございますよ。
ま、赤瀬川源平センセによりますれば、最近のトレンド(?)は「ご幼稚」志向だそうですから、時代の流れつーもんかもしれませんがのう。
permalink No.388

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