修学旅行

2003-05-20
うちのすぐそばに、廃屋(はオーヴァーだけど)みたいのが一軒あったのですが、午前八時っころからパワーシャベルが入り、夕方に前を通ってみた時にはもうサラ地!になってしまっておりました。
うひょ〜、いくら狭いとはいえ、家一軒がほぼ8時間で姿を消すとは・・・ユンボ恐るべし。

おかげで、風に乗ってホコリが流れて来たんでしょか、駐めといたクルマがなんだか白っぽいぞ?と思ったら、ボディ表面、すんげえ量のホコリじゃん!まあ、あの「ビフォー&アフター」とかゆうリフォームの番組でも、天井とか落とすと凄まじい量のホコリ舞ってるもんなあ。
間に一軒あってもコレだから、すぐお隣りはもっとえれえメに合ったんじゃないでしょか?しかも雨でも降ってりゃまだいいんでしょうが、きれーに晴れてましたからねえ。

さて、街なかのところどころで修学旅行生らしい二、三人連れの中学生らしき小グループが手にした地図(たぶんね)を覗きこみなどしながら歩いているのを見かけるようになりました。詳細なルート・マップや、最近では位置情報まで判る携帯端末を持たせて、自分たちでポイント間を移動させる、というやりかたが増えているようですね。
時々、とんでもないとこで見かけたりするのは、やはり「スジ金入りの」方向音痴揃いだったりすんのでしょうかね?そんな時でも PHSの位置情報案内サーヴィスで、引率の教師には、どこで迷ってるか、が判りますし、いざとなれば直接電話してアドヴァイスも出来るってワケでしょ。

それからすると、ワタシらの時代の修学旅行ってのは、あれ、なんだったんでしょうね?ポイントからポイントへ、それらの相対的な位置関係もまったく判らず、バスに乗せられて、その間、バカ騒ぎしたりして浮かれてるから位置ばかりか、すべての関連性もケロっと忘れちまう。
だから、行った場所の記憶だってあやふやです。
知恩院?う〜ん、行ったよな気がすんなあ。なんか「からかさ」がどうこう、ってのナンの話しだったっけ、あんとき確か、おーうちとフザケててガイドさんの話、ちゃんと聞いてなかったもんなあ。だいいち、それってキョートだっけ?てなレヴェルですからねえ。
行く前に、きちんと資料を渡されて「予習」でもしてればまだしも、カンゼンに物見遊山キブンでしたよ。ま、それに、当時はまだ修学旅行専用列車なんてものもなく、フツーの客車で日本海側を16時間(!)ほどかけて京都へ行ったんじゃなかったっけ?クレイジーでしょ?もう、列車を降りたときにゃ全員がヒローコンパイですから、ま、あれじゃ予習なんかしたってぜ〜んぶ記憶から欠落してるなきっと。疲れてっからミョーにみんなテンション上がってて。

だいたいさあ、「修学旅行」ってえコトバにゃあ「学」っての入ってるんだけど、ワシらの時代、だ〜れも学んでなんかいなかったよなー。宿で騒いで、バス乗りゃあガイドさんの品定め、降りて歩いてる時は悪フザケ・・・ま、それが面白かったんだからいーのかもしんないけど。

ま、ひとつだけ言えるのは、引率する側じゃなくて良かったな、ってコト。かも。
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