伝統?

2003-06-05
エピちゃんの日記には考えさせられました。エピちゃんのおともだちが、とある業界でどんな目に逢ったかが書かれているのですが、なんだか戦前の、人権もクソも無いよな時代にタイム・スリップしたかのよな錯覚に陥ります。
徒弟制度ってものは、日本の様々な技術面での階層構造を支えて来た、ある種、合理的な一面を持っていたハズなのですが、しかし、それはあくまでも教える側に「愛情」があるコトを前提としています。ただやたらと怒鳴り飛ばし、人格を否定するような言説で「突き放す」コトは「スパルタ式」なんてえコトバにも値いしません。
とかく「それが、ここの伝統だから」という「逃げ口上」で、それを正当化しちゃいがちですが、それを隠れミノに、単に自分が受けた仕打ちを他人に味わわせるコトで「償い」としてるだけでしょ。

もちろん、「最近の若いヤツは、ちょっと叱ると大ショック受けて、次の日から来なくなる」ってボヤくおっさんたちにも「理」はあるでしょうし、事実、ロクに仕事も出来ないのに、クチ応えとヘ理屈だけはいっちょまえ、どこ行っても長続きしない、なんてえ「カス」みたいなヤツも現実にいます。
そんなヤツが次々とムシのいい「甘い考え」で職を変えて、一生「ハンパもの」で終るだろうってえ時に、逆に、その職種にちゃんと理想を持ち、そこで生きて行きたい、と願って食らい付いている初心者が、それを見透かされて「イジメ」の対象になる・・・つまり「才能」のある人間であるかどうか?じゃなく、単に「クッソ〜!今に見てろよー」みたいな「意地」だけがサヴァイヴァルの鍵だとしたら、真にイノヴェーティヴな新人なんか出て来っこないやね。そして、そんな「意地」で生き延びて来てるもんだから、上がいないポジションまで行くと、今度は仕返しを始めてしまうんだよな。
岸田センセによると、虐待の連鎖の構造ってのは、まず、ヒドい目に合ってる自分を「救済」するために、「いや、これは一種の愛情なんだ」と必死で思い込もうとするコトから始まります。誰だって、自分が「憎悪」の対象になっている、とは思いたくないワケです。こんなヒドい扱いをされるのも自分が至らないせいだ、それを匡そうとしてくれているのだ、という構図ですね。
それが刷り込まれたココロのままで、今度は自分が指導出来る立場になった時、逆に同じように新人をイジメルことで、「自分はコイツに成長して欲しいからこうしてるんだ」という自己正当化を通じて「偽りの愛情」を「強化」して行くのです。でないと、自分が受けて来た仕打ちと真っ向から対面しなきゃならなくなりますからねえ。

なんだか愛情なんてカケラもありゃしねえよなヤツの下で、ホンキでやる気のある人間がツブされ、怒鳴ったりせず、じっくり育てたい、なんてえ親方のとこにゃあ、なんにもヤル気なんかねえ「バカ」が甘い考えで来てみて、ちょっと言われるとヤメちまう。
でも、ヤル気のある人には、それに相応しいところが見つかる可能性はあります。夢をあきらめず、自分の居場所を探しましょう。





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