赤字

2003-06-15
国土交通省の息がかかった運輸政策研究機構ってのが「地方鉄道復活のためのシナリオ」ってのを発表してるよーなんですが、そこにデータとして提示されている各地方鉄道の営業収支、っての見たら、げっ!ケツから5番目に秋田内陸縦貫鉄道が入ってる!100円の収入を得るのに、234円の経費が掛かってるらしいんですよ。
いや、いっちゃん悪いとこ(阿佐海岸鉄道)は 445.8円もかかる、ってんだから、それに比べたら、まだマシではあるんですがね。

秋田県の北部を東から西に向かって流れる米代川の上流域には、大館(おおだて)があり、ここで北に向きを変えて青森県に向かう奥羽本線の他に、さらに東、岩手県にまでつながる花輪線(はなわせん)、現在は旅客輸送こそ廃止されたが、小坂鉱山からの鉱石を搬出するための小坂鉄道。そして現在はその線路跡地がところどころに残っているだけの、近郊の花岡鉱山からの鉱石を運搬した鉱山鉄道、と、大館駅は秋田県北部における鉄道路線上の重要なポイントでした。
そして米代川が日本海に流れこむ河口の街で、かって秋田杉の重要な積み出し港として栄えた能代。
秋田市から北上してきた奥羽本線はここで東に進路を変え、米代川に沿って大館に向かうのですが、一方では、白神山地と日本海の境界を北上して青森県に入ってゆく五能線(ごのうせん)の分岐点ともなっています。
その能代から大館までの区間は米代川の流域が生み出した肥沃な回廊となっているのですが、その半ば、やや大館寄りにある「鷹巣」(たかのす:町で、「市」ではない)から南に分岐して大胆なルートで県中央部とを結ぶ計画がスタートしたのが、1922年(大正11年)のことでした。

その鷹巣からまっすぐ南に、奥羽山脈の背骨の西側、阿仁川が刻み込んだ谷に沿って田沢湖に近付き、分水嶺を越えて、今度は南に流れる桧木内川に沿って、これも(当時の)国鉄田沢湖線の角館(かくのだて:ついでながら、この角館も北の鷹巣同様、「市」ではなく「町」です)まで接ぐ、という(かなり)大胆な計画でした。

鷹巣駅からいったん能代方向に出た線路は左にカーヴを切り、米代川を越え、大野台の丘陵を越えて、阿仁川に出合うとさらに左、川を遡る方向に南下を続け、阿仁街道と五城目街道の分岐する町、米内沢(よないざわ)に達しますが、この第一期工事が完成して、その営業を開始したのが1934年でした。
その阿仁街道と、ちょうど阿仁川を挟むように対をなして南下を続け、阿仁合(あにあい)までが開通したのが、その2年後です。

しかし、そこから先、比立内(ひたちない)までの区間は、さらに狭まる谷あいに、トンネル(大小2つ)工事までかかえ、開通するまでに実に「27年」を要しています。
こうして鷹巣から比立内までの路線全長46kmが、1963年に「国鉄阿仁合線」となって、全計画中の、まず北側が準備されました。

次に着工したのは南側の区間です。盛岡から小岩井、田沢湖を経て秋田県側に入って来る国鉄田沢湖線(現在の JR 東日本「秋田新幹線」です)の角館(かくのだて)駅から北に向かい、桧木内(ひのきない)川に沿って大覚野(だいかくの?読みは手元の地図に載っておらず、不明です)街道とともに、田沢湖の北岸から西に出て来たところにある「松葉」まで、およそ20km弱の区間が1970年に、国鉄角館線として営業を開始しました。
そして、本来ならば、さらに残りの30kmほどの工事を急いで、南北がひとつとなるハズだったのですが、1980年に、旧国鉄の抱える巨額の負債による「危機」を迎え、「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」が適用されて、建設計画はストップしてしまったのです。

しかし、この部分を残したまま南北が個別に営業していたのでは、採算面だけではなく、鉄道としての「意味が無い」ワケですから、1984年には沿線の8つの町村と県によって第三セクター、秋田内陸縦貫鉄道株式会社を発足させ、最後の区間、比立内から松葉の29.3kmの工事を開始したのです。
およそ12箇所のトンネル工事を含むこの区間が完成し、ついに角館・鷹巣間の全線 94.2kmが開通したのは、1989年の春でした。実に計画のスタートから67年の歳月が過ぎていたのです。

その秋田内陸縦貫鉄道は、その始点、角館があまりにも有名な観光地として知られてはいますが、沿線のスポットは「全国区」の知名度を持つには至らず、観光事業の面では思ったほどの成果は上がっていないようです。
そして、地方に共通したパターンとして、鉄道の採算が悪化するにつれ、便数が減少するなど、さらにマイカーへの乗り換えを促進させるような状況となる「悪循環」が進み、貨物輸送も(発ガン物質を恒常的に排出して走行するディーゼル・エンジンの)トラックに主役を奪われ、さらに追い打ちをかけるように「少子化」の波によって、頼みの通学者の増加も期待できない昨今、苦しい闘いを強いられています。

おそらく、日本全体の「交通の在り方」に対する姿勢が変わらない限り、地方鉄道の苦闘はこれからも続き、閉鎖されてゆく路線は増え続けていくことになるでしょう。
あれほど沿線の期待を集め、待ち望まれて開通した貴重な鉄道が、このまま消えていってしまう・・・
はたして、それで良いのでしょうか?
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