Stretchin’ Out / Sugarcane Harris

03-07-07
昨日にひき続きインスト・ナンバーだよん。ま、これってブルースなの?なんてえ声も聞こえてきそうですが、いーのだ!いわゆる正統派の(?)重厚なブルースばっか聴いてると、「つまらねえ」ジジイになってくぞう(偏見?)。遊びごころが無くなったら音楽じゃなく音学になっちゃいますからねえ。
なあ〜んてムチャ言ってるけど、確かにブルースってえワク組みからはハミ出してるか?

いきなり、軽く歪んでるようにも聞こえるヴァイオリンの音が切り込んでくるように始まる Stretchin' Out。有名なデュオ Don&Dewey の Don のほう、Don "Sugarcane" Harris の華麗にして大胆、自由自在なプレイを相棒の Dewey Terry のオルガンが支えて、存分に歌わせています(ベースは Pete Smith、ドラム Sonny Gillettes )。むしろ R&B や R&R 色の強い Don&Dewey ですが、Don "Sugarcane" Harris に限って言えば、ロック畑(フランク・ザッパやジョン・メイオールね。え?でも、ジョン・メイオールはブ・・・ なんて声は無視)でのヴァイオリニストとしての活躍も知られてます。ただ、この Stretchin' Out は、それらの活動に入る '60年代の後半よりも前の録音で、1962年、Los Angeles で吹き込み、RUSH 1002 としてリリースされたシングル、Soul Motion の B サイドだった曲のようです。この LONDON GXF 2003、Blues Obscurities シリーズの Vol.3 STRETCHIN' OUT ではアルバムのタイトルとしても採用されており、これを編んだキューレイターも、どーやらワタクシ同様、この曲が「お気に入り」だったよーでげす。( Soul Motion も収録されてるんだけど、そのスロー・ブルースみたいなインスト・ナンバーは、「それほど」インパクト無いもんね)

Don Harris(もしかすっと Donald ってえ名前だったのかも?)は、1938年6月18日に、ロスに近い Pasadina で生まれています(パサディナといえば、ジャンとディーンの名曲「Lil' Old Lady from Pasadina」:パサデナのおばあちゃん、が有名ですが、それをパクって日本のスパイダーズが「弘前のばーちゃん」ってのを出してましたねえ)。で、この Don 君、父がクレオールで、母はインディアンとドイツとアイルランドの混血だった、といいますから、かなりな混血具合だったようです(しかし、とーぜんアメリカじゃあ「有色人種」として、「差別される」側であることに変わりはないんでしょうがね)。
Don & Dewey ではギターも弾いていますが、母と一緒に観た映画のせいでヴァイオリンにハマったんだそうで、当初はクラシック志向だったものの、次第にブラック・ミュージックに傾斜し、特にブルース・ハープのフレージングが、その後のヴァイオリンにもエイキョーしてるとか・・・

"Sugarcane" Harris は、Dig These Blues( ACE )や Sugarcane( EPIC )というアルバムもあります。時に熱く、あるいはすすり泣き、うめき、また叫ぶがごとき彼のヴァイオリンの世界をお楽しみくださいませ。
1999年、ロスで死亡。生前のライヴの写真を見たら、エゲレスのおバカ・ポップス・バンドO の Epiphone みたいな「ブルー・メタ」塗装らしきヴァイオリンを抱いておりましたぞ。すんごいですねえ。



MACさんの一日一枚でも話題になっていた「彼と彼女のソネット」ですが、原題は T'en va pas (邦題は「哀しみのアダージョ」)。フランス人歌手、Elsa(エルザ)のデビューシングルで作曲が R.Musumarra、作詞は C.Cohen と R.Wargnier。それに大貫妙子が日本語の詞をつけたものです。
「彼と彼女のソネット」とは、そのエルザが出演した『哀しみのバイオリン』というフランス映画の(そのサントラに含まれているのが T'en va pas )副題でした。
T'en va pas(仏)とは「行かないで」という意味で、オリジナルでは「パパ、行かないで」という内容の歌詞ですが、大貫妙子の「彼と彼女のソネット」では、女と男の恋愛を主題としています。また自分で吹き込んだ際には一部の歌詞を歌っていません(聴き比べればスグ判りますよん)。
まだ聴いたことは無いんですが富沢聖子ってえひとと、宮村優子(声優だとか?)ってひとも歌ってるらしいですね。

原曲はナイーヴな「少女らしさ」が前面に出ているような感じですが、さすがは大貫妙子、そこに漂う「情感」というか、「深さ」がこちらの心を映し出す鏡のように思え、気がつくと流れる歌詞とは別に、過去の様々なシーンを見返している自分がそこにいる、という経験を何度もしています。ま、逆にいうと、大貫妙子が歌うこの曲が、ある意味「追憶」のスイッチになっているのかもしれません。ん?ってえことはホントは「聴いてない」のか?





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