Don’t You Know Yockmo / Huey "Piano" Smith & His Clowns

03-07-14
さあ、今日はとびっきりの「お祭り」気分を味わっていただきましょ!
これって、ブルースなの?ってえギモンもおありでしょうが、ま、カタいことは言わず、ココロをちと緩めて、半ば虚脱状態で(?)聴いていただくのがよろしいかと。

さて、Huey "Piano" Smith の音楽は一応「ニュー・オーリンズ R&B 」と呼ばれているようですが、彼本人は「ロックンロール」という認識だったみたい(あるいは、あましこだわってなかったかも?)です。
その音楽にはどーみても「あてはまりそーもない」単語(概念、形容詞など)を羅列してみるってえと、「陰影・静諡・重厚・内省的・叙情性・哀愁・緻密・繊細・渋い・ロマンチック」なんていうとこでしょうか。
なんたってもう聴けばスグ判るおバカなパッパラパー系(?)の「お祭」ノリで、おちゃらけ、脳天気、駄洒落みたいな語呂合わせ、「楽しくやろうぜ」ってのが至上命題でございます。
この曲だってワケ判んない歌詞(つーか合いの手みたいなもんか)Ring Tin Tin とか、Allez Allez Hoo(おフランス語でしょか?)なんてのがてんこ盛りでございます。
ここはひとつ「浮き世のウサ」を忘れて、さあ皆様も御一緒に!

Huey Smith は 1934年の1月26日(1/2とする資料もあります)、New Orleans に生まれ、14才ですでに自分のバンド、Honey Jumpers を作っっていた、というハナシもありますが、ピアノを弾き始めたのは15才から、という解説もあり、その時はまだピアノやってなかったんでしょか?
彼のピアノは Professor Longhair の影響を受けている、とされていますが、この曲あたりじゃピアノよりコーラスがド派手なんで(っていつだってそーだけど)あましピアノがどうこう、ってえもんじゃないよなー。
ま、確かに右手にはそのケが見てとれるけど、左手はちとシンプルなのよねん。
50年代になると彼は Earl King や Guitar Slim のバックを務め(1953年には SAVOY に「シンガー!」として在籍 by 鈴木啓志氏)、すぐに名の知られたセッション・ピアニストとなりました。
ニュー・オーリンズ R&B シーンでは I Hear You Knockin' で知られる Smiley Lewis や Lloyd Price、そして Little Richard などの録音にも参加しています。
'50年代中期からは自身のグループ、Clowns を始め、地元のブルース・シンガーや女性ヴォーカルを採用し始めました。リード・ヴォーカルとして、「女性の声で歌える」 Bobby Marchan が在籍しています。
1956年に ACE と契約した彼は Rockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Flu で、1957年の R&B チャートの 5位をマークしました。しかし、彼の最大のヒットはこれじゃなく、翌1958年、両サイドがヒットした Don't You Just Know It / High Blood Pressure のカップリングで、こちらはポップ・チャートの10位、R&B 5位の最高ランキングを記録しています。
1959年には Sea Cruise を出しラジオ局でのパワー・プレイの可能性を探っていましたが、ACE はこの曲を(バッキング・トラックをそのまま流用して)10代の白人 R&B シンガー、フランキー・フォードに歌わせてリリースし、結果は全国的なヒットとなりました。
彼は Rockin' Pneumonia のヒット以降、似たような病気ネタの曲を送り出したがヒットにはいたらず、Bobby Marchan も自分のソロ、There Is Something on Your Mind ( FIRE 1960 )」が R&B チャートの 1位をマークしたのが機になったのか、クラウンズを去りました。
その後釜として、女性ヴォーカルとして Gerry Hall と、男性ヴォーカルの Curley Moore を入れて、活動を続けていますが、翌1962年の ACE でのシングル Pop Eye を最後に、クラウンズだけではなく、最終的なグループ、Hueys & the Pittar Pats でも、再度チャートに登場することもなく、さらに彼自身が「エホヴァの証人」に入信(!)したことにより、彼の名は音楽産業から永遠に消え去ったのでした。

Professor Longhair、Fats Domino、そして Alan Touissant あたりに始まるニュー・オーリンズの R&Bは、さらにドクター・ジョンやネヴィル・ブラザースたちの、いわゆる Second Line のリズムを縦糸とし、そこにケイジャンからレゲエ、さらにソウルやロックまでのヴァラェティ溢れる横糸を織り込んだ「カラフルな」タペストリーとして現代も輝きを保っているように思えますが、この Huey "Piano" Smith、ひときわ派手なラメみたいに輝いてますねえ。鈴木啓志氏による日本盤のライナーには、「'50年代のPファンク」とありますが、なるほど、Huey "Piano" Smith が '50年代のジョージ・クリントンってワケか。

アルバムは Having a Good Time ACE 1004( 1959 )など。
P-Vine の PCD-2474 にも入ってますが、そちらは「いらんことしゆう」なんで、出来れば Huey "Piano" Smith のし、の Having a Good Time のほーがええぞね!




さてさて、TOUR de FRANCE 90e:第 8ステージ(7/13)
やはり、自ら予言したとおり、Richard Viranque(QSD)のマイヨ・ジョーヌは「あっ」という間にその手から離れてっちゃいましたねえ。9分以上も遅れてちゃあ、そりゃムリ、ってものでございますよ。おフランスのみなさまは(半ば予想はしてたでしょが)せっかくのパリ祭だっちゅうのに、ガックシ、っちゅーとこでしょうか。

かっては Alpe D’Huezを制した者は Tourを失う、ってえエンギの悪いとこだったんですが、それを久々に破った Lance Armstrong(USP)が今回もまたここでマイヨを獲得しました。
標高 550mの Sallanchesを出てすぐ 10kmで 600m近くを登り、一旦 332mまで下った後、標高 2645m(!)の Col du Gallibierを登らなければなりません。さらに一度 722mまで下ってから、最後の 1850m、Alpe D’Huezのゴールまで這い上がらないといけないっちゅースゴいコースでございます。
この日一日、これやっておしまい、ってんならホビー・サイクリストでも時間無制限でなんとか走破も出来そうだけど、「レース」ですからねえ。しかも、昨日もレース、明日もレースなワケですから、とんでもないやね。
ワタクシなんざ、キボも 1/5くらいのをダブル・ピーク(つまり山二つね)までがいーとこかな?三つとなると、もーハナからヤル気が失せちゃいますよん。え?そんなこと誰もキョーミ無いって?ぎゃはは、そりゃそーだ。
でも、レーサーで走っててイチバンつまらないのが登りだよねー。平地を快走してると、あんなキモチいいのに、勾配が 6%を越えたあたりから、スピードは出ないしカラダの発熱もハンパじゃなくなるんで、もータイヘン。登りが無いならレーサー乗ってもいい、なんてヒトもいるくらいですからね。



今日は東京のほうが寒かったみたい。20度くらいでしょ?こっちが 22度くらいかな?
きれいに晴れ上がって、とってもキモチいい日でしたよ。 気温が上がったり下がったりで、体調を崩しやすいと思いますので、みなさま、ケンコーにはくれぐれもお気をつけくださいませ。

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