Warm It Up To Me / Blind Willie McTell

03-07-17
WWII 以前のカントリー・ブルースと言えば、1936年と1937年の29曲だけで「栄光の殿堂」入りした(?) Robert Johnson という、あまりにも有名な存在がひときわ輝いていますよね。
あ、蛇足ながら、ウチでは「あの」短縮形はゼッタイ使いませんのでよろしく。
親近感ってより「バカにしてるよに」聞こえてちょとムカつくもんで。
ま、それはともかくそれに先駆けることほぼ 9年、1927年から、戦後の1956年まで、およそ120タイトルを吹き込んだ、Georgia 州のブルースマン Blind Willie McTell です。
とは言っても、実際にはブルースのみならず、ラグや古謡なども歌っているんですが。
そんな背景から来るのでしょうか、時として繊細なメロディや透明感のあるヴォーカルがもたらす世界は、ブルースという領域を超えて滲み出して行くように思えます。

でも、この曲は良き相棒、Curley Weaver のギターとサイド・ヴォーカルをつけた12小節の典型的なブルース進行となってて、Blind Willie McTell のヴォーカルとのからみが実にいいですね。
Blind Willie McTell の場合、他にも有名な Broke Down Engine Blues や、Georgia Rag なんてナンバーもあるんですが、この曲の浮遊する(?)スウィング感がたまりまへん。
あのBarrel House bh-04 Chicago Boogie の Little Walter みたいな、さらにアップタイトなのもいいんですが、このノリもなかなかに「捨て難い」ものがあります。

Willie Samuel McTell は Georgia 州の、Augusta からは西に 30マイルほど西にあたる Thomson の南で生まれています。しかしその生年には異説があり、1898年とするものと、1901年である、とするものです。どちらにしても 20世紀初頭のアメリカ南部では、黒人の新生児の生年月日など殆ど重視されていなかったのかもしれません。
一応、信頼出来そう(?)な日付として1901年 5月 5日というのが挙っていますが。

彼の父、Ed McTell は酒とギャンブルにどっぷりで、彼が生まれてすぐ母と別れています。母は彼を連れてさらに南の Stapleton に移り、1907年、当時、木材とテレピン油の生産で賑わっていた Statesboro に最終的に落ちつきました。
1920年代の中頃には盲学校で点字と音楽について学び、やがて Macon の州立学校、さらに、New York や Michegan、さらに North Carolina の学校にも行っており、これはもちろん当時の平均的黒人子弟の学歴としては異例なものです。

しかし、彼にとって、ギターのとっかかりとなったのは、かなりの腕だったという母の存在があったようで、また父の方からも多少は学んではいるらしいんですが、後には Statesboro の Seph Stapleton というひとの手ほどきを受けました。10代ですでにショーの一員としてツアーに参加してたようです。

彼は Atlanta、Thomson、そして Statesboro を本拠とし、Georgia 州を中心に活動していたようですが、なかなか稼ぎは良く、1934年に結婚した Kate という女性が通う看護学校の学費も彼が出していたそうです(ただし、1941年には二人は別れたようですが)。
1959年の8月19日、バーベキュー・パーテイのさなかに倒れた彼は病院に運ばれる途中で死亡しました。死因は肥満と高血圧から来る心臓のトラブルだったようです。美酒・美食のツケってヤツね。

収録アルバムは BLIND WILLIE McTELL 1927-1933 The Early Years Yazoo 1005 で、このアルバムには Broke Down Engine Blues や、 Georgia Rag 他も収められております。




笑顔ってやつ、最近じゃすっかりマニュアル化されちゃった「接客スマイル」に席捲されちゃってて、ナチュラルな、ほんとーに好感を抱いたことから生まれてくるココロからの笑顔にはなかなかお目にかかれなくなっちゃいましたね。

観光地なんかの土産物店なんかで、客に商品の説明をしてる店員さん、有名な神社仏閣などで、その由来なんぞを言い聞かせているガイドさん、あるいはスーパーの地下食品売り場で実演しながら売っている販売員さん、み〜んな共通した姿勢がありますよね。
それは、「言うコトを台詞化する」、目の前にいる人たちに「興味が無い」、「流れ作業化する」なんてゆーこと。土産物の店員さんだったら、いかに早くさばくか、商品(あらかじめ包装してある)を渡し、代金を受け取り、お釣りあるいはレシートのみを返す・・・
口では「いらっしゃいませー」、「ありがとうございます(あるいは「ました」)」を連発していますが、一歩引いたところで冷静に観察してると、客個人とは、または、客個人の人格とは「関わりあいたくない」ってのが基本にあるなあ。ってのが判ります。
特に繁盛してるドライヴ・インなんかだと、各社の観光バスが次々に着くたびに吐き出される観光客の「波状攻撃」に、まあ、こーなっちゃうのもムリないな〜、なんて思うんですが・・・
がっ!そんなに客もたてこまないお店あたりでも最近じゃそんな対応するとこ、タマにありますねえ。その最大のトクチョーはまず、客の目を見ない。客の言ったことはちゃんと聞いているんですが、それも手慣れたパターンで対処しようとするんですね。たしかに一見、応対は丁寧です。でもココロってモノがそこに「無い」!

ハンバーガー・ショップの接客マニュアルって、笑いのネタになったりしますが、逆に言うと、そんなもんで「形だけの」対応を教えなきゃなんないほど、「人とキチンと接する」コトが出来ないニンゲンが増えてる、ってことなんでしょか?
あるいは、客のほーも「形さえ整ってりゃいーや」なんて浅い処世術を当然としてるんでしょか?
あまりココロに立ち入ってほしくない客が増えてるのかなー。(ま、あましエンリョ無く土足で踏み込まれるよな扱いされたら誰だってヤでしょうがね)なんだかつまらないですね。

でもワタシはそーじゃないお店を見つける幸運に恵まれてるんですよ。
コイツいったいどんなヤツかな?ってエンリョがちながら探り、ちゃんとこちらの目を見てくれるお店ね。
何度か来てる客だったら、以前と「お変わり」無いかちゃんと観察し、それとなく気を遣ってくれるお店。
そんな細やかな気遣いを、一見ぶっきらぼうな応対に隠して(だって照れ臭いじゃないの、そんな真っ向から世話焼いちゃ、焼かれるほーだってそうだよねえ)さりげなくスマートに・・・
そのヘンが「江戸ぶり」ってヤツかな?やはり、相手に関心を持つコト、それがホスピタリティのキホンですよ。
もちろん、そんなお店は味だっていいんですよ。
ウルサイ客をヘコませるほどの能書は無いけど、まっとうな材料でまっとうな料理を作る、大事なのは「能書」なんかじゃあない!喰って旨いかどうか?だけ。
マニュアルで接客してるよな店は調理もマニュアルなのよねー。材料と「会話」しなきゃ。



TOUR de FRANCE 90e:は、本日「休養日」
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