Five Long Years / Eddie Boyd

03-07-24
Eddie Boyd ─最高の詩人であり、手数の少ないリズミカルな左手は、細かいフレーズを軽やかに演奏しながら、決して弾き過ぎない右手のために余裕を残す
─ 某サイトの紹介文から。

♪ Have you ever been mistreated・・・

と始まる、あの、あまりにも有名な"Five Long Years"という曲は、ホンマかいな?と疑いを挟みたくなる「資料の上でのオリジネイター」ってのと違ってマチガイ無く、彼が作った曲だ!ってのが確実なケースなのでございます。
事実、彼は製鉄所で働き( job in the steel-mill・・・ )それこそ5年くらいは(正確な年数は不明ですが)ガマンして貯めたカネでこの曲を世に出してるワケで、その想いが込められた歌詞は、やはり広く支持され、記録的な大ヒットとなりました。

そしてこの曲は、いまやブルース・スタンダードとして、実に数多くのブルースマンによって愛されています。
有名な 1959年の Junior Parker(しっとりとした佳いカヴァーです)をはじめとして、マディや B.B. に Buddy Guy と、様々なヴァージョンが存在してるのは、みなさまご存知の通り。
そして、ブルース好きロック・ミュージシャンにもよく採り上げられる曲であり、例えばスティーヴ・マリオットの1985年の Camden Palace Theatre( London )LIVE など、あまり知られていないところでの好演もあります。
クラプトンしか知らないヒトにはゼヒ聴いてみていただきたいものですね。

Eddie Boyd(本名、Edward Riley Boyd )は、1914年11月13日(25日という説もある)、Mississippi 州 Clarksdale( Stovall との異説あり)のプランテーションで生まれています。1928年14才の時(15才、という説もある)にプランテーションの監督者と口論のあげくに、干し草用くま手で刺してしまい、それが原因で Memphis に逃亡し、そこで Beale Street に出入りしてブルースに染まったとされています。
当初はギターも弾いていたようですが、Roosevelt Sykes や Memphis Slim、そして Leroy Carr など、ピアノ・ブルースの全盛期に向かっている時代で、かつ、プレイヤーとしてのマーケットも大きいことから、ピアノに転向し、彼自身のピアノにトランペットとクラリネットを加えたトリオ The Dixie Rhythm Boys で酒場廻りをし、また、1930年代を通じ、Little Eddie や、"Ernie" Boyd として Memphis から南にも演奏しに行っていたようです。

1941年にはシカゴに移り、まず Johnny Shines と活動をともにし始めましたが、すぐ Sonny Boy I を知り、そのセッションに参加してからは、Tampa Red や Jazz Gillum、さらに Big Maceo などのサイドメンとして仕事をしています。
1947年には J.T.Brown のバンドのヴォーカリストとして、初の自己名義での吹き込み( VICTOR )を行い、結局1949年までに計16曲、そこから 6枚の SP がリリースされています。その翌年には Regal と Herald にも録音していますが、本人の満足できる「作り」ではなかったようで、製鉄所(まさに Steel Mill やね)で貯めたカネをはたいて自分でミュージシャンを集め、セルフ・プロデュースして発表したのが、この名曲 Five Long Years で、J.O.B.からリリースされると、1952年の10月から、実に 7週間にわたって R&B チャートの 1位をキープする大ヒットとなりました。

ただ、そのヒットも、金銭的には満足をもたらさなかったようで、レーベルを変えて Parrot にも吹き込んだのですが、そこでの原盤が無断で CHESS に売却され、1957年までの吹き込みが CHESS に残ることとなり、その中には 24 Hours や、 Three Degree という、どちらも R&B チャートの 3位にまで登ったナンバーも含まれています。そしてその時の録音と、同様に勝手に売られた Willie Mabon のトラックとを併せて、カップリング・アルバム MELLOW & BITTER BLUES MCA MVCM-22096 となっていますが、それは日本独自企画のアルバムだったようです。

その後、(一説では、クルマの事故に巻き込まれ、一時演奏から遠ざかっていたとか)あまりヒットにも恵まれることはなかったのですが、1965年の American Folk Blues Festival の一員としてヨーロッパに渡った際に、そこでの歓迎ぶりに心を動かされたのか、依然として、人種差別の続くアメリカには帰らず、まずベルギー( Paris とする説もあります)に腰を落ち着け、1970年代に入るとフィンランドのヘルシンキに移り、1994年の 7月13日に死亡するまで、そこで定住し、彼の音楽を愛する聴衆に恵まれて暮らしたのです。

EVIDENCE のアルバムに Five Long Years がありますが、これって、with Buddy Guy ってヤツじゃなかったっけ?



きのうスーパーで「なんじゃこりゃ?」ってもんを見つけました。
カップ・ヤキソバっていうのあるでしょ?なんと、それのスパゲティ版?
マルちゃんの「焼ナポリ」だって!でもよっく見るとスパゲティじゃなく「ナポリタンソース焼きそば」なのねん。
こりゃ「ぷ」さんにも教えてやんなきゃ、ってんでいっこ買って来ました。お昼にやってみましたら、これ、なんつーか、中華麺にちょと近いけど、一応デュウラム・セモリナっぽいとこもあるよな微妙な(?)味わいでございます。
粉末ソースと液体ソースの両方をかけて混ぜるんですが、出来上がりは確かにヘタな喫茶店のマズいナポリタンみたい!でも、食べてみると、ありゃ?これだったらもしかすっと「これよりマズいナポリタン喰わせる」喫茶店あるよな〜!って程度のフツーの味でございますよ。うん、マズくはない。でも、美味しいナポリタンってレヴェルにはちょっと「あと一歩」でしょ。

パスタを自分で作るとしたら、舞茸の醤油バター風味ってのがメインで、他にカルボナーラや、ミラネーゼ(ホントにミラノで喰ってるかどーかは「?」)もやるけど、ナポリタンってのはゼッタイ作らないわな。つーか、あんなもん、パスタとちゃう!ってえ偏見があるのじゃ(でも、食べるほーはタマにだったら「いい」ざます)。そゆ、作る気はせんけど、ちょと喰いたいかな?なんてとき、手軽にダマすにはいーかも。



TOUR de FRANCE 90e:は、第16ステージ(7/23)Pau 〜 Bayonne/197.5kmでございます。上位でタイム差を争うメンツは牽制しあっての集団ゴールになったため、変化ナシ。ケッキョクこーなっちゃうのよねー。
でも、鎖骨を折ったままレースを続けてきた Tyler Hamilton(CSC)が最後の登りでトツゼン無謀なアタック!たったひとりで逃げると、空気抵抗をモロに受けるから、10kmくらいまでなら、まあなんとか逃げ切れる可能性もあるけど、80kmの平地を残して、「追いつかれないハズはない」ってのがジョーシキでげす。ところが、まあ、フダンのココロガケがよほど良かったんでしょか?後ろの大集団はトツゼンの「霧」に閉ざされ、視界が悪いため、下りでも速度を上げられず、まさかの「逃げ」をユルしてしまったのねん。ゴールしたハミルトンの後方には2分近い「空白」があったのです。すげっ!

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