Kansas City / Wilbert Harrison

03-07-25
昨日の Five Long Years / Eddie Boyd に続いて(といっても、こちらはその7年後になりますが)大ヒットを記録したナンバーです。
一瞬、ファッツ・ドミノを思わせる5度から4度に落ちてくる R&R っぽいピアノ(もちろん、テンポはゆったりしてますが)で始まり
I'm goin' to Kansas City, Kansas City here I come ・・・
というお馴染みの歌がケッコー落ち着いたトーンで染み込んでくるんですが、間奏では一転、Jimmy Spruill のハイ・テンションかつトレブリィでハードなギターが「かき回し」、ヴォーカルの抑えたトーンと対照的です。
案外そのクールな印象の歌との対比も面白いし、一種の「ご当地ソング」ですから、聴く側も勝手にその「カンサス市」についてのイメージを膨らませられる部分もあったのか、ビルボードでは、初登場100位から 6週間をかけて、1959年5月18日には遂に「1位」まで昇りつめています(翌週も1位)。
ただ、この曲の原曲は Little Willie Littlefield の K.C. Loving で(もち、「K.C.」ってのは Kansas City ね)、このカヴァーのヒットによって、原作者、Jerry Leiber / Mike Stoller の著作権料など、金銭トラブルもあったようですね。なまじヒットするとこれだもんなあ。
ついでながら Kansas City でトンがったギターを聴かせてくれる Jimmy Spruill は同年、Little Jimmy Spruill の名で Kansas City March なんてのを FIRE に入れてます( N.Y.Wild Guitars P-VINE PCD-2359 に収録)。

Wilbert Harrison はこの後、 Let's Work Together なんてそこそこヒットした曲もありますが、ポップ・チャートの上では、ま、キョクタンに言っちゃうとミゴトな「一発屋」だった、つーことになるんでしょね。ま、アメリカじゃ、二発屋(?)ってことで A Two-Hit Wonder なんて言われてるよーですが。

彼は1929年の1月5日(6日としている資料もあります)North Carolina 州の Charlotte で生まれました(28人家族だったとか!)。成長の過程で触れていたのはスピリチュアル/ゴスペルからヒルビリー/カントリーとかなり幅広かったようで、そのあたりが彼の音楽的な指向性を左右しているように思われます。
1946年に入った海軍をブジ(?)1950年に Miami で除隊し、その周辺で音楽活動を始めているのですが、カリプソをベースにした傾向だったそうです(!)。それがマイアミのプロデューサー Henry Stone の目にとまり、Rockin' という彼のレーベルにデビュー・シングル This Woman of Mine を吹き込み、Rockin' 526としてリリースされました(カップリングは The Letter )。
ワタシはこれを聴いたことはないのですが、この曲では既に、後の Kansas City に使われているのと実に良く似たメロディが登場しているのだそうです。
でも、その頃すでにオリジナル、Little Willie Littlefield の K.C.Loving はリリースされてたワケでしょ?じゃあ、やはり、ウェストコースト・スタイルだったオリジナルを、そのスタイルにコンヴァートしたことによって大ヒットにつながった、ってワケなのかな?
この頃には、あのハリー・ベラフォンテの Calypso Man なんてのもカヴァーしてた、ってゆーから、にゃるほど、「並み」のブルースマンとはそーとーちゃいますね。

やがて New Jersey 州の Newark に移り、SAVOY の上層部が迷ってるうちに、偶然、プロデューサーの Fred Mendelsohn の目にとまり、Terry Fell のカントリー系のキャッチーなカバー Don't Drop It から始めて、SAVOY にいくつかのセッションを録音していますが、1954年から1956年にかけて、当時の New York のトップ・クラスのセッション・メンバー;アレンジャーの Leroy Kirkland(記憶の良い方なら覚えておられるかもしれませんが、「あの」Screamin' Jay Hawkins の作品でも顔を出しておりますぞ)、サックスに Buddy Lucas、ギターには Mickey Baker と Kenny Burrell っちゅう「豪華メンバー」を揃えた「にもかかわらず」ヒットにはつながらなかったのねん。

1952年に Bobby Robinson が所有する FURY に吹き込んだ Kansas City( FURY 1023 )が大ヒットし、R&B とポップスの両チャートで成功するのですが、実はその時点ではまだ SAVOY(その経営者 Herman Lubinsky がその少し前に姿をくらましていたとはいえ)との契約が「有効」であったため、そのヒットがトラブルの原因となってしまったワケです。

1960年代の後半にはワンマン・バンド・スタイルで演奏していたらしいのですが、1969年に出した Let's Work Together( SUE 11 )が R&B チャートの 2位、ポップ・チャートの17位、という久々のヒットになっており、それも入れて A Two-Hit Wonder と言われてるようですが、それを重視しないひとは A One-Hit Wonder と、やはり「一発屋」扱いでございます。
その後、一時期ウェストコーストに行ったりもしてたようですが、1994年10月26日やはり North Carolina 州の Spencer で死亡しました。

Kansas City / Wilbert Harrison は N.Y.Wild Guitars P-VINE PCD-2359 などに収録されています。



昨日、市内に新しくオープンしたケーキ屋さんに行ってみました。夕方、仕事帰りの「ぷ」さんと向かったんですが、もうだいぶ売り切れてて、種類が半分くらいっきゃ無いジョータイ。
チョコ系のとイチゴのショートを買って、ふたりで試食。「ぷ」さんのイチゴ・ショートは、ごくまっとうなお味です。うん、こんなもんじゃろ、ってえ感じね。可もなく不可もナシ。ワタシの選んだのはこれも見た目から予想した通りのお味で、裏切られることもないけど、驚きもしない「当たり前」のセンでした。
もしかすると、売り切れちゃってもう「無い」のの中に、面白いのがあったのかも?
そのうち、もっと早い時間にも行ってみないとね。

ところで、今日はやたら冷たい風が吹き続け、なんだか「風立ちぬ」(?)ってなフンイキで、まるで「秋」みたいな一日になっちゃいましたよん。おいおい、まだ夏も来てねえってのに、もう秋かよ?
どこでも気温が低くて、夏物衣料は売れないし、エアコンも売れないし、海の家もサッパリみたいで、もータイヘン。ま、唯一の救い(?)は暑がりのヒトとか、アセモで困ってるヒトとかってのが「過ごしやすい」ってヨロコんでるとこかな?って、なんかデブだけ?メリットあるの・・・



TOUR de FRANCE 90e:は第17ステージ(7/24)Dax 〜 Bordeauxの165kmです。
Servais Knaven(QSD)がトップ集団からの逃げに成功し、17秒差をつけて「ツール100周年賞」の1903ユーロを獲得!総合優勝を争うメンツが含まれる大集団はそれから遅れること 8分以上でゴールしてるけど、集団ゴールなんで順位変動はナシよん。
やっぱ第19ステージの個人タイム・トライアルまでは変化無いね、きっと。

permalink No.460

Search Form