Hidden Charm / Howlin’ Wolf

03-07-30
自分で採り上げといてイキナリこんなコトゆうのもなんですが、ワタクシ、まったくもってジョン・リー・フッカーや、このハウリン・ウルフみたいな「いわゆる」ディープな声のブルースマンって「苦手」なんです。
でも、世間ではカッコいいだの、オトコ(「漢」って字をアテるのが特にヤだね)っぽいだの、これこそブルース!なんて「ロマンチスト」の皆様が「お騒ぎ」になっておられるのを、遠くっから、おいおい?という感じで眺めさせていただいとりました。

しかるに、そはさんぬる日、今は大曲におられる「とめごろおさん」たちが始めたブルースの愛好会みたいなもん(ブルースのマニアばかりじゃなく・・・ どころか、いやはや、そっからはケッコー、トンでもないのを輩出しとりますが)の会報紙に執筆するために、あらためて一枚購入いたしたのでございますよ。
相変わらずエグい声じゃのう、なんて流しておったのですが、フと耳に止まったのが、久しぶりに聴く、この Hidden Charm でした。
ご存知の方もおられると思いますが、Willie Dixon 作の一風変わった曲で、コード・ワークが実に独特なものでございます。まずトニックで3小節、一度ドミナントに行ってトニックに戻り、次はサブ・ドミナントに行ってトニックに帰る、多少長さの相違はございますが、Little Walter の My Babe に似た構成となっております。

ま、どちらかというと標準的な12小節、A-A’-B、っちゅう「ブルース・フォーム」からはちとハズレとりますが、これもリッパなブルースでございます。
このウルフの Hidden Charm は、J. T. Brown のテナー・サックスと Donald Hankins のバリトン・サックスが繰り返す特徴的なリフに Sam Lay の軽快なドラムがからみ、そこに、これまた真似の出来ない独特の存在感に溢れた Hubert Sumlin のギターがチョッカイを出して、「地から湧いた」ように切り込んでくるウルフのヴォーカルを待っていたかのように Lafayette Leake のピアノもハシャギ出す。と、これが実に「いい」んですねえ。どうしてだか、この曲だと、ウルフの声が正解!と思えるんですよ。
一方、あんまし「目ざましい」とは言い難いベースはクレジットを信じれば Buddy Guy(!)だそうでございます。 I Ain’t Superstitious のクレジットじゃベースが Jimmy Rogers(!)ですからねえ。

ま、作者のウィリー・ディクソンについちゃあまた、いずれ日を改めまして、つーことで、Howlin’ Wolf でございます。
この方についちゃあ、ワタクシなんぞがゴチャゴチャ言うまでもなく、いわばブルース界の「スーパー・スター」でございますゆえ、その伝記にしても、ディスコグラフィーにしましても、もっと優れたものがすでに存在しております。したがって、ここではカンタンに言及するに留めたいと思うのでありますが。

彼は1910年の6月10日に、Mississippi 州の Aberdeen と West Point の間にある小さな駅(?としといたけど「集落」かなあ?) White Station で父、Leon "Dock" Burnett と、母、Gertrude Young の間に生まれました。
両親が離婚して、Will Young っちゅー叔父に預けられますが(そーとー「ハードな」叔父だったとか)彼が司祭をしてた White Station のバプティスト教会の聖歌隊で歌っています。
たぶん、それがウルフの音楽の出発点だったかと・・・(あ、その前に鍋を叩いたり、汽車の汽笛を真似たりしてたらしいから、それをスタート、っていう考えもあるよーですが)
母はストリート・シンガーで手書きのゴスペルの譜面を売って喰いつないでたらしいんで、とても息子のメンドー見られるよな状況じゃなかったんでしょね。そんな母はウルフが「悪魔の唄を歌った」っちゅう理由で絶縁しちゃったんだって。
ううむ、ウルフの書いた曲でタマに、女性に関する偏執的な大言壮語が見られるのは、その母親との「寒々とした関係まで辿ることが出来る」なんてゆー見方があるくらいでございます。
13才の時には「地獄のような」Will Young のとこを逃げ出し、父のいた Delta に行き、父の再婚後の子供たちと合流し、Ruleville 近くの Young & Morrow 農園で働くようになり・・・ありゃりゃ?いけねえ!これじゃいつもとおんなじじゃん!そ!ウルフについちゃチャーリー・パットンからのギターの影響とか「1928年1月に彼に最初のギターを買ってやった」父とか、ライス・ミラーから習ったハープだとか、エピソードはもっともっといっぱいあるんですが、それやってると「日記」が連載になっちまうんで「全速前進!」
1941年には召集され、陸軍の通信部隊で、北西太平洋の Fort Lewis や Washington、Camp Adair で過ごす。除隊後、農業のかたわら、Willie Brown や Son House とともに Mississippi 州北部の Lake Cormorant 周辺で週末に演奏。
1948年、James Cotton、Junior Parker、Pat Hare、Matt "Guitar" Murphy、さらに Willie Johnson(当時 KWEM に出演していた)などとのバンド活動に入るため、Arkansas 州 West Memphisに。
1951年、Sam Phillips に見出され、Moanin’ at Midnight と How Many More Years を吹き込む。
1952年に発売されるやビルボードの R&B チャートのトップ10入り。
1953年 Chicago にうつる。

・・・と、RPMか CHESS か?なんてあたりもスっとばして来ちゃったけど、いよいよ1963年の8月14日に録音されたのが、この Hidden Charm なのですじゃ。
あいにく手持ちの盤が輸入盤のため、歌詞が手元に無く、アヤしげな和訳は今回はナシよん。

そのワイルドかつタフなステージングとは裏腹に、家庭でのウルフは模範的な夫であり、Arkansas 州に農地を所有して釣りや猟を楽しみ、地区の消防団の活動に参加し、さらにはメーソンの支部のメンバーでもあったようです。

1964年には Lillie Handley( Willie Brown の妹で、1957年に知りあう)と結婚。
1965年には、ローリング・ストーンズとともに、アメリカのテレビのロック番組「 Shindig 」に出演。
1970年には、ロンドンでエリック・クラプトンやストーンズのメンバー、などのロック・ミュージシャンとのセッション The London Howlin’ Wolf Sessions をリリース、ポップ・チャート79位となる(彼のアルバム中のベスト)。

ただし、60年代晩期からは心臓発作など、健康に影がさし始め、1970年にはトロントでの交通事故で腎臓を害ねてしまいます。三日に一度人工透析を受ける状態となりますが、それでも1973年には、彼の最後のスタジオ・アルバム Back Door Wolf をレコーディング、1975年11月には B.B. King、Albert King、O.V. Wright、Luther Alison などと Chicago Amphitheater で共演するなど、最期まで真摯にその活動を続けて行ったようです。

そんな彼に永遠の休息が訪れたのは、Chicago Amphitheater でのスタンディング・オヴェーションに律儀に応えた後、楽屋から救急搬送された病院で、その2ヶ月後の1976年1月10日のことでした。
彼は Illinois 州 Hines に埋葬され、1980年に「栄光の殿堂」入りし、1991年にはロックの「殿堂」入りを果たしました。さらに Mississippi 州 West Point は、1997年に銅像を建立し、以来毎年夏に Howlin’ Wolf music festival を開催しています。

Hidden Charm が収録されているのはChange My Way CHESS MCA RECORDS CHD-93001 など。



長いこと関東周辺に停滞してた梅雨の雨雲がミレンたらしく(?)北上して来てまして、弘前は典型的な「梅雨空」でございます。
ん?つーことは、トーキョー地方はもはやバクレツな暑さに見舞われておるのではないでしょか?なにやら最近、スイカしかノドを通らない、とおっしゃる雪乃さんのケンコーがシンパイでございます。またエピちゃんも、会社側がちゃんとしてくれたかシンパイです。
ここんとこ花火に土用の丑、とチョー忙しかったらしいりっきーさん&おゆうさんもクタバってないかシンパイ・・・ とシンパイばっかしててもしゃーないんですが、なんとかみなさん、この電力危機の夏を乗り切っていただきたいものでございます。
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