Jack O’diamond Blues

Blind Lemon Jeferson


03-08-07
天にまで届かせようとしてるかのような乾いたインテンシティのあるヴォーカルが繰り返す Jack O' Diamond。
Spanish チュ−ニングのオープン G を基本に、時折2弦を使ったカウンター・メロディをあしらいながらほぼ G のまま進行してゆく印象的なこの曲は、たしかに一般的なブルース・フォームからは逸脱していますが、これが意外とやみつきになるのですよ。

この曲が収録されてるのは King Of The Blues Entry-1/Blind Lemon Jefferson CBS/SONY CSCS 5326 や P-VINE の The Very Best of Blind Lemon Jefferson - Match Box Blues など、ま、よほどヘンな編纂意図で集められたアルバムでなければ、彼の名を冠したものには必ず収められているハズです。レコーディングは1926年の5月。

この Blind Lemon Jefferson ですが、あまり資料がありません。かなり有名なブルースマンであるのに、その正確な経歴や、その死の真相などが「謎」のままなのですよ。
ある資料では、1897年の7月11日生まれ、となっていますよね?しかし、1997年の2月6日(木曜)に、Texas 州 Wortham の黒人墓地に新たに設置された墓碑銘には

Lord, it's one kind favor I'll Ask of you. See that my grave is kept clean

という彼の歌の一節とともに September 1893-December 1929 という生没年が刻まれています。
これはブルース・ファンの寄付によって新たに墓碑銘を作る際に、Bruce Roberts が地元の文書館とTexas 州歴史委員会周辺を調査した際に発見した国勢調査の関係書類から『類推したもの』で、彼によれば、他の説(主なものは1897年生まれ、とするもの)を裏付けるようないかなる証拠書類や物証の存在をも確認できなかったため、それまでに登場したことの無い説ではあるものの、最も整合性のある時期として、1893年の9月を「採用」したそうです。

Texas 州 Freestone 郡の Wortham( Couchman )で、Alex Jefferson と Classie Banks(あるいは Bates )の間の 7人の子供のうちのひとりとして生まれた、とする記述も( http://music.lycos.com/ )あります。幼少期にはすでに視力を失っており、生まれた時から、とする記述も見られますが、彼の写真で、その眼鏡が透明なレンズを使っている点から、部分的な視力は残っていたのではないか?とする説もありますが、今となっては検証のしようもありませんねん。

ツアーも積極的に行っていたようで、Texas 州の東部などがメインだったようですが、やがて Dallas に流れつき(?)そこで Leadbelly と出会っているみたいです。レパートリィも多く、10才ほども Lemon より年上なのに、にもかかわらず、若い Lemon のほうがブルースでは「リードしていた」そうです。このあたり、Lemon と Leadbelly は行動を共にしていたらしいのですが、Leadbelly が1918年から1924年まで服役することになったため、ふたりのカンケイは短期間で終っています。
Lemon の声価が上がるにつれ、彼はより遠いところまで廻るようになり、1920年代の初頭からは南部諸州に足跡を残したコトになってるんですが。
特にミシシッピー・デルタはいい稼ぎにもなったみたいですよ。ま、そんなにあっちこっち廻れたってのも、大抵は有蓋貨車のタダ乗りで、ま、なかにゃあ払ったってのもあったんでしょが、ともかく鉄道がメインだったようです。

Dallas で Sam Price の推薦により彼は PARAMOUNT に「見出され」、1925年から1929年にかけて、最終的には(別テイクも含んで)100曲を Chicago、Atlanta、Richmond に Indiana などでレコーディングし、その中から43曲が PARAMOUNT レーベルで発表されています。
およそ彼が登場するまでは、商業的な側面からは「ブルース」が "Ladies Music"( Mamie Smith、Bessie Smith、Ma Rainey など)だった、という分析もありますが、その辺は異論もあることでしょね。
ま、なんにしろ、彼が充分な商業的成功を収めた「初の」男性ブルースマンである、っちゅーのは確かでしょ。

その彼が雪降るシカゴの路上で死体となって発見されたのが 1929年の暮れです。
この件に関しては「謎」が多く、一説では強盗に襲われたのだ、とか、いや、死因は心臓発作であるとか、そーじゃない、凍死だ、など様々な説が入り乱れ、中には、車中で心臓発作をおこした Lemon を「お抱え運転手」が雪降る路上に蹴り出して放置したのだ、なんて複合説まであるようですが、現在まで死亡診断書は発見されておりません。

彼の遺体はピアニストの Will Ezell によって列車で帰郷し、彼が少年期を過ごした家に近い Wortham Black Cemetery に(一説によると1930年の元旦に)埋葬されました。前述のように1967年まではその場所を示すものひとつない状況でしたが、彼を忍ぶファンたちは単なるマーカーでは飽き足らず、大規模に寄付を集めて立派な墓石を新調し、1997年に建立。毎年集めた寄付で、それ以来彼の墓はミゴトに grave is kept clean であり続けているそうです。



大久保初夏がTBSのはなまるマーケットで採り上げられてましたが、みなさまご覧になりましたか?
ま、たいていの方は録画しといたのを夜(いまごろですね)に見ておられるんじゃないでしょか(って駄ジャレじゃないってば!)。あちこちの板に本人がカキコしてましたから、かなりの方が見てると思いますよ。
しっかりブルースを叩いてました!こっからもさらに精進して(って、この「精進」ってコトバ、なんだか若いヒトにゃ「合わない」よな気もするなあ。アメリカの話で「元旦」ってのもだけど)、無敵ブルース・ドラマーになって欲しいものです。
ま、番組そのものが「深く」つっこむタイプじゃないんで、ケッコー表層的な扱いで終ったのが、ちょっと「もったいない」気もしますが、それでも、こーやって「ブルース」があのテの番組に登場したんですから、彼女の功績はとっても「大きい!」ですね。
permalink No.473

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