Guitar Slim / Guitar Slim

03-08-08
この演奏者名と同じタイトルを持つ曲が、彼の本質をもっとも良く表してるとか、彼の全てがここにある、なんて思っているワケじゃないんだけど、有名な The Things That I used to Do を始めとする、レイジーでスティッキーな一連のスローなナンバーの合間にこの曲が登場してくると、いきなりケツアツが上がるというか、体温も 0.4度(?)くらい上昇しちゃうよな「イケイケ(古っ?)」感がタマらないのよねー。

は〜い!お馴染みのギター・スリムが来たでぇ〜!
オレの音、嫌いだっちゅーんなら、ムダな時間は使えないけどねん。
ポケットにタップリ金がありゃウィスキーでもジンでもワインだって呑みまくるぜ
よそいきの晩餐キメてよろしくやりたいねえ!

・・・てな、なんの内容も無いよな曲ですが、やや抑えたトーンのブラスのリフの上で、ヤル気満々のハイ・テンションなヴォーカルがはじけ、一本調子ながらムード作りに貢献してるオルガンも時おり浮上して、ヴォーカルとはまたちょとちゃうタイプながらやはりツッコミのあるギターがとるソロがまた、なんともいい味を出してます(後半ちとユダンしちゃうとこが笑えるんですが)。

ホントのワル(?)Albert Collins あたりだと、このテの曲じゃ、バクレツに暴れまわって「ロケンロー」の一歩手前まで行っちゃいますが、ジャケットにあしらわれたご尊顔から察するに、お人柄も良く(?)、あのよーな荒技とは縁が無いのがギター・スリムっちゅう気がしますねえ。・・・なんてダマされてはいけません、あの Jimi Hendrix が一説ではこのひとのギター・アクションにインスパイアされて云々ってのをどっかで読んだよな気がするなあ。ケッコー意外とワイルドなステージだったよーで。
ま、もっとも、Guitar Slim っての、Guitar Slim Green と、明らかに戦前で時代が合わないひとりを除いてもまだ「三人」居ますからねえ。え?他のふたりは「あり得ない」?はいはい、判ってまんがな。同じ名前のが他にもいまっせ、ちゅう前フリでおます。

ここでの Guitar Slim は、本名、Eddie Johnes で、Mississippi 州 Greenwood 生まれ。残りのふたりは本名 Alex Seward(1902年 Virginia 生まれ)と Norman Green( ktateさんの人名辞典では1907年 Texas 生まれ、となっていますが、1920年7月25日とした資料もあります。まさか別人28号?そちらには「Slim Green」の名でレコーディング、とあるので、さらにややこしか〜!おまけに ktateさんの人名辞典には、そのスリム・グリーンの項に本名ノーマン・G・グリーンとして載っており、記載内容も、出生地、ディグ・レーベルまでは共通してるけど、他がビミョーに「?」になってます)。

と、ムダな講釈はこれくらいにして、彼のステージはホントに見ものだったみたいですよ。染めた髪の毛にマッチする鮮やかなカラーの特別仕立てのスーツにこれまたピッカピカの靴( his favorite suit was cherry with white shoes )、350フィート(ほぼ 100m 強)のケーブルを用意して、ステージから客席に降りて行く。さらにアシスタントの肩車で表の通りまで出てった、とゆうんですから当時はもうバカウケだったでしょね。若き日の Buddy Guy はその演出に感銘を受けた、と自叙伝に記してるくらいですから(そーいえば、初めて観た Buddy Guy「だけ」のライヴは渋谷のクワトロだったんですが、その時も Buddy Guy は裏通路をまわって観客席後方に「演奏しながら」現れる、ってのをやったらしーんですが、あいにくワタシのとこからは後ろの方で騒いでるのは判っても、Buddy Guy は確認できなかったんで、ホントにそーなのか自信はおまへん)。

さて、Eddie "Guitar Slim" Johnes は、1926年12月10日にMississippi 州 Greenwood で生まれたのですが、わずか5才で母が亡くなり、Hollandale の L. C. Haves plantation の祖母のもとに送られ、農業に従事しつつ、そこで成長することになります。
やがてその辺のジューク・ジョイントに出入りするようになり、そこに出演するバンドの歌手&「ダンサー」となったようで、「 Limber Legs(柔軟な脚っちゅうイミか?)」というアダ名までついてたらしい。
18才の時、Willie Warren のバンドのフロントマンを務めますが、この時期に「最初の」結婚相手と知りあっています(ただその結婚は長く続かなかったみたいですが)。1944年には陸軍へ。
1950年には New Orleans に移り、そのステージ・アクションも完成し(?)てたとか。そして GUITAR SLIM の名のもと、やや歪んだギター・サウンドで独特なカラーを打ち出したのです。
1951年には Imperial と契約し、4曲を吹き込んでいますが商業的には成功せず、次いで1952年には Nashville の Bullet に吹き込み、 Feeling Sad でやや手応えを掴みます。それが ATLANTIC と Specialty の注意を惹くこととなりましたが、結局1953年にはレーベルのボス、Art Rupe と、A&R マンの Johnny Vincent の説得により、Guitar Slim は Specialty と契約しました。New Orleans の有名なレコーディング・エンジニア Cosimo Matassa によって The Thing I Used to Do をレコーディングしているのですが、Lloyd Lambert のバンドに Ray Charles がゲスト参加、というバッキングとなっています。その大ヒット(R&Bチャート一位)によって Apollo Theatre でのショウ出演(一週間!)もはたしました。このヒットによる一連のツアーの後、ケイジャン・ミュージックの心臓部ともいえる Louisiana 州 Thibodeaux に移っています。Specialty のために曲作りにハゲむのですが、Sufferin' mind にしても The Story Of My Life にしても The Things That I Used To Do のような成功には至らず、ついに Art Rupe も彼との契約を解除してしまいました。 そこで彼は即座に ATLANTIC の子会社 Atco と契約(1958年)、It Hurts To Love Someone や Down Through The Years をリリースしています。

彼の生涯は「酒」によって決まった、と言ってもいいでしょう。Earl King によれば、「1パイントのジンと 5パイントのブラック・ポートを毎日」呑んでた(しかも、さすが悪名高い「女蕩らし」らしく、毎晩、常に新しい女を侍らせていた!)そうです。
1959年早々、バンドは彼のアルコール中毒から来る呼吸のトラブルを押してイースト・コースト・ツアーを組みますが、2月6日、バンドが New York 州の Rochesterに来たところで Guitar Slim の状態が悪化し、地元の医者から「断酒」が必要、と宣告されています。翌日、New York City に入りますが、すでにグッタリしていた Guitar Slim はバンド・メンバーによってホテルの部屋に担ぎこまれましたが、その時点では「呑んだ」せい、と思われていたようです。
しかし、いつまでも快復しないため医師が呼ばれたのですが、すでに手遅れで、気管支炎により死亡しました。アルコールによって事態が深刻化したのはマチガイないでしょう。この時の彼はまだ 32才です。彼の遺体は Louisiana 州 Thibodeaux に帰り、そこに彼のギターとともに埋葬されました。

何人もいた女性たちの子供の中で、Rodney Armstrong は New Orleans で Guitar Slim Jr.として活動しています。以前、CXで『ミシシッピー・クロニクル』とかゆう現地取材をしたブルースの番組があり、その中で、その「ジュニア」が Gibson のマローダーってゆうんだっけ?あのフライングVと同じシェイプのヘッドで、ボディ・シェイプはレスポール型、でもアーチド・トップじゃなくて真っ黒でフラットなボディってヤツ。それ持って出て来たように記憶してますが、ちゃう番組だったっけ?

さて、Guitar Slim( Eddie "Guitar Slim" Johnes )は、確かに New Orleans で活動してたんですが、でも、このサウンドを、たとえば「ニューオーリンズ・ブルース」みたいな分類に押し込めちゃうのは難しいようです。手元にある日本盤、1974年の9月に日本コロンビアからリリースされたアナログ・ディスクのライナーを執筆した中村とうよう氏も、その分類には悩んでおられるようですが、この「音」は地域によって解釈されるものとは少し「違う」ような気がします。もっとパーソナルな部分が大きい、と。

Guitar Slim は実に多くのプレイヤーに影響を与えた、と言われています。でも、そんなことはどのプレイヤーにだって多かれ少なかれ言えることです。ここはひとつ、このコトバを・・・
"Guitar Slim was not only a great blues performer, but one of the most original and
impassioned lyricists ever to work in the blues form."─ Barret Hansen



台風の影響で、ミョーにムワァ〜っとした熱気でございます。しかも、小雨がパラついててすんげえ蒸し暑い日になりました。そんな中、東京で「グンジョーガクレヨン」のドラムをやってる実弟の Atsushi がクルマに愛犬のポチまで乗せて弘前に里帰りして来ました。ベーシストである奥さんも一緒で、ちょい前から先に来てた息子を迎えに来た、って感じでしょか?
ワタクシのホームページでも紹介はしてありますが、かっての Cavern Blues Band の初期のドラマーでもあったので、さっそく明日のセッションに誘ってるとこです。
愛犬のポチは初対面からワタクシのことがめちゃめちゃ気に入ったらしく(!)嬉々としてとびついてくるんですが、チワワなんかならどーっつうこと無いけど、ラブラドール・レトリヴァーなんですよ。なついてくれるのはいいけど、ユダンすると顔中ナメまわされちゃうんで気が抜けません。 そーいやあシノちゃんとこのラブ君もだったなあ。ワシってラブラドール種にウケがいいのかしら?
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