Born In Louisiana

Clarence Gatemouth Brown


03-08-09
このアルバムの一曲目は、「あの」ファンキーな "Mojo" of the "Mojo"、比類なきギターがくすぐってくれる Got My Mojo Working なのでございますが、そちらは Blues After Dark のホームページ、Favorite Songs で「扱って」おりますゆえ、ここではその次のナンバー Born In Louisiana を採り上げさせていただきましょ。
典型的なスローか?と思ったらソク斬り込んでくる彼自身によるヴァイオリンがとってもユニーク。
Louisiana で生まれて Texas で育った⋯と始まる歌はこれまた自身のことを歌ったものです。ソロもオブリもギターとヴァイオリンの両方でとっているんですが、やはりヴァイオリンのフレーズの方が耳に違和感があるせいか、印象に残りますね。

Sugarcane Harris とはまた違ったテイストのヴァイオリンのソロが登場するこの曲は、目黒の Blues Alley Japan でのライヴでも披露され、スキ者たちをヨロコばせてくれました。
彼自身のことを歌ったこのブルースの歌詞のとおり、「テキサス系」と言われる彼ですが、実は Texas との州境にある Louisiana 州の Vinton で1924年4月18日に生まれ、そして生後すぐ州境をはさんだ Texas 側の Orange に移っています。
考えてみれば、彼はその幼少期からすでに、「境界」を跨ぐことを始めているワケですね。
彼の父がギターとフィドル(ブルーグラスなどではヴァイオリンをこう呼ぶのだ)を教えてくれたようですが、その父も幅広い音楽を演奏してたそうですから、血は争えません。
その父が死んだのは彼が 21 才の時ですが、同年(前後カンケイは不明だけど)San Antonio でドラマーとしてミュージシャン人生をスタートさせてます。

1947 年のこと、Gatemouth は Houston のナイト・クラブ「the Golden Peacock」で T-Bone Walker のライヴを聴きにいってたんですが、演奏の途中で T-Bone の具合が悪くなり、ギターをステージに落としてしまったのを見た Gatemouth はステージに駆け上がりそのギターをひっつかんでイキナリ自分の曲「Gatemouth Boogie」を弾きはじめたのです。T-Bone はこの若い成り上がりもんを「面白くは」思わなかったらしいんですが、聴衆は一気に湧き立ち、その 15 分の間に、Gatemouth の足元にはたちまち投げ銭のヤマが出来て、総額 $600 にもなったそうです。
この様子は Houston の実業家でクラブのオーナー Don Robey の目に止まり、さっそく Gatemouth を雇い入れ、遂にはマネージャーとなってしまいました。
23人編成のオーケストラをつけて南部から南西部をまわるブッキングを行っています。
最初のレコーディングは Hollywood の Alladin Records に 1947 年に行っていますが、そこでのプロモーションの仕方やリリース方法などについて疑問を持った Don Robey は、Gatemouth のために自らの手で Peacock Records を設立してしまいます。
そっからは Okie Dokie Stomp、Boogie Rambler、Just Before Dawn そして Dirty Work At The Crossroads というヒットが生まれました。
これによって、ピーコック・レーベル自体もメジャーな独立レーベルとなり、Bobby "Blue" Bland、Junior Parker や Joe Hinton を抱えるほどになったのです。
'60年代に入ると Gatemouth は Nashville に乗り込み、Hoss Allen がホストを務める、R&B を中心としたテレビ番組の『The Beat』に出演するようになります(確か Freddie King のヴィデオのバックにいたよね?)。
この Nashville 時代にも、一連のシングルを録音しています。
'60年代の終りに、New Mexico で保安官代理として勤務(ホンマかいな?)していた一時期は音楽と離れていたようですが、こんどはヨーロッパに新たなブルースの聴衆を開発するためのツアーに関わるようになり、まず 1971 年、彼はフランスでのデビューをはたしました。1970 年代を通じて10回以上ヨーロッパを訪れ、そこから計 9枚のヨーロッパでのアルバムが生まれています。
特に、 Alligator Records からの PRESSURE COOKER はそれ以降のグラミー賞候補として注目される契機となったものです。
1970年代中期にはアメリカ政府の事業の一環として、東アフリカ諸国を歴訪し、アメリカン・ミュージックのスポークスマンとして活動しました。また'70 年代後期には Montreux Jazz Festival の常連ともなっています。
1979 年には(当時の)ソヴィエト連邦を訪問。
このころには New Orleans に居を移し、Jim Bateman の Real Records(ルイジアナ州 Bogalusa )と契約。そしてアメリカでの彼の初アルバムとなった BLACKJACK を 1978 年にリリースしました( Music Is Medicine レーベル) 。1979 年には PBS-TV の『Austin City Limits』に出演。またカントリー系の Roy Clark とアルバムを作り、それによって『Hee Haw』という番組に出演。
1982年、グラミーの "Best Blues Recording" 賞─ALRIGHT AGAIN!。同年 W.C.Handy Award の "Instrumetalist of the Year" に。さらにドイツ・レコード批評家投票の "Album of theYear" も獲得。

その後の Gatemouth はニュージーランドやオーストラリアへのツアーや、1988 年にアメリカの大使が追放されたニカラグアにも出かけています。政治的、あるいは軍事的な緊張の続く地区(中南米を含む)へのツアーについて Gatemouth は、「連中が聴きに来れないんだったら、こっちが行くしかなかろうが」とノタマっておられたようです。

ま、なんてステキなおかた・・・なんて思うとドッコイ、これがなかなか喰えないジジ・・・う〜っぷす、ヴェテラン・ミュージシャンでございまして、ま、あまりにも有名なエピソードといたしましては、かの吾妻光良氏はかつて Gatemouth に心酔(?)しておられ、1986 年には Gatemouth のインタビューをされたのでございますが、いやはやなんとも、この時のインタビューはブルース史に残る最も不条理な(?)展開をみせてしまい、なにゆえか「激怒」した Gatemouth に吾妻光良氏はエラいメに合わされたのでございます。キョーミがおありの方は、Black Music Revue 誌 '86 年 7 月号をご覧くださいませ。

さて、最近は New Orleans の郊外に住んでるそうで、さすがに足腰の衰えは隠せないらしいですが、なんとか、もいちどくらい日本でライヴやってくんないかなあ?
Born In Louisiana は STANDING MY GROUND Alligator ALCD 4779・・・あ、うちの UK盤だった・・・



今回の台風10号は、どーやら東北に到達したころにはだいぶイキオイもへたってて、雨だけで終りそうかもしれません。それはいいんですが、シンパイなのは、彼とふたり、レンタカーで四国へと向かったエピちゃんです。途中どっかで、どえりゃー雨に遭遇してたんじゃないかなあ?なんとかブジに瀬戸内海を渡ってくれてたらいーんだけど。
permalink No.475

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