My Babe Little Walter 03-08-11 | こりゃもう、いまさら言うこともないくらい有名な曲でして、ハープやるひとならたぶん知ってる曲ですよね? でも、その割りにセッションなんかじゃ登場しないのは、その独特な曲の構成が、「原曲」を聴いたことない、あるいは「おさらい」したことないひと(特にベースやドラム、場合によっちゃあギターだって)にゃあ、いきなり出来るもんじゃない、ってとこにあるよに思われます。 そしてなによりも徹底して「セッションに向かない曲」でしょう。 なんたって非常にクセの強い曲ですから「あのとおりに演らないと」ダメ!ちゅう「潰しの効かなさ」があるんだよな。 ワタシみたくゼッタイにコピーはしない、てなこと言うとこの曲は出来ないのかも。 ヴォーカル部分は、F-F-F-C-F-Bb(ブレイク)-F-F という 8 小節で構成されています( Bbとあるのは B♭のことなんですが、字面の整合性がイマイチなので、あえて小文字の「b」で代用してあります。「ワザと」ですからツッコマないように!)。 それが間奏部になると、ごくフツーの 12 小節のパターンになるんですが、バックのギターもベースもリフのパターンを変えてるんですよねー。ブラシによるスネア・ワークを貫くドラム以外は、そこらの違いをきちんと意識して、かつクォリティの高い演奏をココロガケないと、グズグズになっちまうのでございますよ。 このテの、音量も抑え気味で、しかし軽やかにスゥイングするナンバーなんてのは、やはりセッションでいきなりやろうったって出来るもんじゃありません。同じよなイミで、Hidden Charm なんかもやはりセッションじゃムリそ。 あ、My Babe じゃ、もひとつ、楽器のトーンも重要かも? 例えばベースですが、「ゴリブリ」ベースやボワンボワンの締まりの無い音より、重低音だけど減衰の早い「音」が合いそう。 フレットレスでブリッジ直前にミュート用のスポンジかまして( 1 弦には軽く、4 弦に向かうにしたがってガッツリと)「音伸び」をコロすのがいいんじゃない? ギターはとーぜんクリーン系で、でも、出来ればシングル・コイルのほーが良さそうかな?Gibson のフル or セミ・アコで P-90 搭載、なんてのがハマるかも。ストラトやテレならフロントのみでね。 そしてカンジンのハープ!こりゃもうゼッタイに「アンプリファイド」だな。 つまり、PA から出すんじゃなく、専用のアンプ(つっても、タマにある「ハープ用アンプ」なんかじゃなく、ありきたりな Fender のチューブ・アンプ。但しリヴァーブ付きに限る)から出して、PA にはそれマイクで拾う、ってヤツね。あ、でも Little Walter が全部、そんなアンプを使ってた、ってワケじゃなく、実際にはハウス PA から出してケッコー迷惑かけた、なんてハナシもあるようですから、ケース・バイ・ケースでしょうが。 55 年録音の My Babe のハープには軽く残響が付加されてますが、これはスタジオ録音なんで、おそらくエコー・ルーム(全コンクリート製の平行する対向面を持たない不定形の部屋にコンソールからの音を出すスピーカーと、この部屋で残響がついた音を拾って卓に返すためのマイクが置かれる)でリヴァーブをつけてるんだと思うんですよね。実際のステージでは、そのハウスによってギター・アンプだったり、ハウス PA だったり、と「臨機応変」だったのでしょう。 なんだか Little Walter ってゆうと「酒と喧嘩」、あるいは「ジュニア・ウェルズに負けた」とか、「アンプリファイドでハープのパワーを変えた」なんてイロんなイメージがあるようで、聴く側が自分の思い込みに合致する「リトル・ウォルター像」をセレクトしてるよなとこがありますね。 もっとも、それはどのミュージシャンに対しても言えることなんでしょが。 Marion Walter Jacobs は Louisiana 州 Marksville で 1930 年 5 月 1 日に生まれています。 一説では 8 才ですでにハープを吹けた( 6 才、ちゅう異説あり)そうですから、さすが天才(?)。その後、Chicago に出てマディのとこでハーピストとなるんですが、ワリと有名な Junior Wells との一件など、そのヘンのエピソードはマディ好きなみなさまなら先刻ご承知のことでございましょう。いちおーカンタンな年表をば・・・ 1942 年、家を出て New Orleans へ。グループで街頭や小さなクラブで演奏。 1943 年〜1946 年 Arkansas 州 Helena 周辺。 Houston Stackhouse と「King Biscuit Time」で演奏。 1946 年シカゴへ。Tampa Red や Bill Broonzy、Memphis Slim らと Maxwell Street やクラブで演奏。 1947 年、Maxwell Street の小さなレコード会社、Abrams Music のマイナー・レーベル「Ora Nelle」に Othum Brown と I just keep lovin' her などを初吹き込み( barrelhouse bh-04 Chicago Boogie に収録) 1948 年、マディのバンドに。他のメンバーは、Ernest "Big" Crawford( bass )、Jimmy Rodgers( guitar )、Leroy Foster( drums )。 1952 年、マディのバンドを離れ、Junior Wells の Aces をそのまま the Jukes に。 1952 年〜1968 年、CHESS におよそ100 曲を録音。 マディのバンドのハーピストが Junior Wells に変わったあたりの「いきさつ」についちゃあ、ウェルズの言い分が世に広まってて、なんだか Little Walter って「たいしたこと無かったんじゃねえか?」みたいな見方もあるようですが、ずっと後まで生きてたウェルズのほーが、そこら有利だわな。 そりゃあ誰だって「オレのほーがスゴい」とは思ってるんでしょーが、そこは「死人に口無し」、でございます。 ま、どっちがスゴいか?なんてえことはあたしにゃどーでもいいことでして、でも、どっちが好きか?ってんなら、もー迷うコトなく「Little Walter」ですね。 特にこの My Babe なんて、自分じゃハープやらないけど、いつかはウマくアレンジして(そ、コピーじゃなく。コピーなんて「贋作」ですからねえ。どんなによく出来てたってニセモノはニセモノ)やってみたいなあ。 さて、この Little Walter、1952 年には有名なインスト・ナンバー(彼自身は Your Cat Will Play と名づけていましたが、発売されたときのタイトルは)Juke をリリースして R&B チャートのナンバー・ワンを獲得、イキオイに乗って(?)Louis & David Myers、そして Fred Below を揃えたバンド、the Jukes をスタートさせています(ただし、Little Walter And The Night Caps って名前になってる資料もあります。─theiceberg.com─ 「Sad Hours」や「Mean Old World」の後で the Jukes になった、と)。 で、チャートといえば、この My Babe も1955 年の R&B チャートの 1 位になってますが、それは1954 年に吹き込んだテイクの方かな? 1955 年にももいちど吹き込んでいるんですが、ウチにある CHESS(日本盤)のアナログ・ディスクに収録されてるのは、その二度目の録音のほうです。1954 年の 7 月 1 日録音の際に参加していた Dave Myers(ギター)に替わって1955 年 1 月 25 日の録音では Leonard Caston がギターで入っています。(他のメンバーは共通、ロックウッド、ディクスン、ビロウ) 1968 年の 2 月 15 日に、シカゴでケンカによる外傷が原因で死亡。酒への依存と、すぐキレる性格のためにケンカが絶えず、結局は最期もそれがもとで逝ってしまいました。 なんてこったい!とーほぐ地方は「梅雨あけ」が存在しないらしいぜっ!どーみても、これで梅雨あけ、っちゅー区切りになりそなケジメが見つからないらしいのねん。ま、ここんとこ天候が不順だもんなあ。稲の出穂が遅れてるし、こりゃあ、南部の作柄が悪化するかもしんないぞ。 でなくても景気ワルいのに・・・ |
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No.477