I Left My Happy Home

Billy Boy Arnold


03-08-12
しょっぱな、あり?このギターどっかで?と思われるでしょが「気のせい」です。
そのギターはやはり(?)Mighty Joe Young でございました。独特の哀愁がタダよってるなあ⋯と思ったら、マイナーのブルースなのねん。
キーは Fm で二つ目は上がんない、9、10小節目はマイナーブルースにありがちな Cm→C#mじゃなく、フツーに 5度から 4度に落ちてきます。
Otis Rush の「あの曲」のカラオケを使って別な曲を歌っちゃった、てな感じですが、全体にこちらのほーが独特な「間引き感(なんじゃそりゃ?)」があって、より Light な仕上がりでございます。

I've been down so long, from my happy home・・・

とトーチョーに出稼ぎにゃ来たものの雇い先が倒産しちまって、今じゃ隅田川べりに青いシート掛けたしがないホームレス。家じゃあ、かあちゃんシンパイしてるべな・・・ みたいな望郷の想いと、でもこれじゃあ帰れねえよ、っちゅうよなココロの痛みを表現した哀切なチューン(?)となっとりますね(個人の感想です)。
控え目なバッキングを続けるサイド・ギターは Ted Mosley、ベースは兄の Jerome Arnold、そして Clifton James のドラムです。
全員一丸となって、よくコントロールされた「ある種の静諡感」みたいなものを最後までキープしてますよ。ま、途中のギター・ソロのとこだけ、リズムが 4ビートになって、グっとスゥインギィになりますが(この途中でリズム・パターン変えるのもあの曲と一緒)、決してハジケることなく、やはりよく抑制されたギターがオープニングと似たクイックなチョーキングを効かせ、脇役的存在感のままワン・コーラスでおしまい。
ま、Billy Boy Arnold ったらハーピストでもあるってのに、なんじゃ?この曲ではゼンゼン吹いとらんじゃないかっ!と叱られそーですが、でもねえ、この曲が気に入っっちゃったんだから仕方ございません。
ですから、正統派の Billy Boy Arnold ファン(?)の皆様には、1963年、PRESTIGE からの
MORE BLUES FROM THE SOUTH SIDE や、20世紀末の ALLIGATOR のアルバム、BACK WHERE I BELONGELDORADO CADILLAC そして2001年、Stony Plain Records からの BOOGIE' N' SHUFFLE をお聴きくださいませ。

この I Left My Happy Home は Los Angels の TESTAMENT Records から出てた Billy Boy Arnold の GOIN' TO CHICAGO(1995年、CDで再発。TESTAMENT TCD 5018 ) あるいは
同じ TESTAMENT から出てた V/A(他に Sam Lay、Eddie Taylor など)で、なんでかタイトルも同じ GOIN' TO CHICAGO(こちらはアナログ・ディスクで、上のアルバムから選んだ三曲だけ。ナゼかタイトルの「I」が無い「 Left my Happy Home 」になっています)ってのがあって、それにも収録されておりましたが、こちらのサイトで聴けます。
http://www.alphamusic-shop.de/2564366.html

Billy Boy Arnold こと William Arnold は1935年9月16日、Chicago で生まれています。
ハープは独学に近かったと思うのですが、12才のときに近所に Sonny Boy I( John Lee Curtis Williamson )が住んでいることを知り、「サニー・ボーイになりたかった」と後にインタビューで語るほど彼のブルースに心酔していたようです。訪ねていってチョークなどを教わったそうですが、三度目の訪問を目前にして、Sonny Boy の不慮の死に遭遇してしまいました。それでも、「多くのものを学ぶことが出来た」と語っています。
とはいえ、Billy Boy Arnold のハープには「それほど」その形跡は無いよな気がするんですが、ハーピストが聴くと判るのかな?あ、こゆとこサニー・ボーイゆずりだ、って。
彼には1936年生まれの弟、Jerome がいますが、Billy Boy Arnold とはもちろん、他にもウルフ、ブルームフィールドや、バターフィールド、Southern Comfort などでもベースを弾いているようで、むしろロックの方で有名かもしれません。

さて、William Arnold ですが、彼より 8才ほど年上のストリート・ミュージシャンだった Ellis McDaniel と組んで活動を初めます。この Ellis こそ、後の Bo Diddley で、いわゆる Bo Diddley And His Washboard Trio の誕生でした。
1952年には、まだ10代ながら Chicago の Cool レーベルと契約。 I Ain't Got No Money と Hello Stranger(お察しのとおり、サニー・ボーイにインスパイアさた作品)を録音しますが、ここで Billy「Boy」Arnold という名が決定しています。本人によれば「実際には17才なのに15に見られた。自称19才だったんだが」、やはりコドモっぽかったんでしょか?
1955年には Bo Diddley が CHESS にレコーディング( Bo Diddley / I'm A Man からヒットの連鎖が始まるのですが、これがリリースされたときに Ellis McDaniel が Bo Diddley となったそうです)。
Billy Boy Arnold はそのサイドをつとめ、Bo Diddley を売り出すのに貢献していたのですが、やはり自分名義のレコードが出したかったようですが、CHESS の Leonard Chess は Billy Boy Arnold をあまりよく思っていないみたいだ、というBo Diddley のハナシを真に受けて CHESSではなく VEEJAY と契約をしてしまいます。
それでも Diddley のバックはしてたので CHESS のスタジオで録音した時に、Leonard Chess が Billy Boy にも「吹き込んでみる?」と声をかけたことで、嫌ってる、とゆう誤解(?)は解けたのですが、時既に遅く、以後 VEEJAY に吹き込むことになります。え?Bo某がガセネタわざと流したんじゃないか、って?う〜ん、そこら、なんとも言えませんねえ。その可能性もあるけど、レナード・チェスが「気が変わった」のかもしれないでしょ?

VEEJAY で吹き込んだ I Wish You Would は地元局でヘヴィー・ローテーション扱いされるなど、ローカル・ヒットとなりましたが、どうやらエレクトリック・ベースを使用した最初のレコーディング・セッションだった、っちゅー説もあります。
その後も I Ain't Got You、She's Fine、She's Mine に Prisoner's Plea とヒットを連発し、僅か20才にして名声を確立しました。

1963年には PRESTIGE から自身の初アルバム MORE BLUES FROM THE SOUTH SIDE もリリースしたのですが、次第にギグの動員も尻すぼみとなってバンドの維持もままならず、音楽から遠ざかってバスの運転手などをしてたよーです。

ところが(?)1960年代中ごろ、エゲレスで湧き起こった「ブルース・ブーム」が彼の運命を再び反転させるんでございますねえ。
彼が VEEJAY に吹き込んだシングルは一時、コレクターズ・アイテムとなったくらいです。その中の I Wish You Would と I Ain't Got You はヤードバーズもカヴァーしておりますが、それ以外にもアニマルズやデヴィッド・ボウイなどが取り上げたことにより、Billy Boy Arnold は一躍、注目を浴びることとなり、ついにはヨーロッパ・ツアーやヨーロッパでの録音の機会を与えられる、という「ふたたびの春」がめぐって来たのでげす。
そのキッカケとなった VEEJAY への吹き込みは CRYING & PLEADING として Charlyから発売されています( UK CHARLY 1016。すでに廃盤ですが中古市場ではときどき出回ってます。アナログ LP )。

彼は、One of the first Windy City blues singers( copyright Richie Unterberger ) と表現されたりもしていますが、それは、彼が他の地方からシカゴに流入したミュージシャン(そ、シカゴ・ブルースとは言っても、それを構成しているのはたいてい「おのぼりさん」なのよねん)ではなく、生粋のシカゴ生まれ&シカゴ育ちだった、っちゅうとこにあるのでしょう。ま、だからどう、ってワケじゃないんですが。

Junior Wells の葬儀では彼が played an epitaph とあって、普通なら葬別の辞を述べた、となるんでしょうが、played となっているので葬送曲を演奏した。かもしれません。
Billy Boy Arnold のアルバムに興味がおありでしたら下の URL なぞいかが。
http://www.applejam-mojoroux.com/applejam/cd_coment/billyboyarnold.html



弟がお土産に持って来てくれた喜多方ラーメンのセットですが、なんとまあ、うち2食分が味噌ラーメンでございました。
味噌ラーメンなどという「邪道」はゼッタイに許さないワタクシ(ぶふっ!ニンゲンそのものが「邪道」のくせにね)そいつを冷やし中華に改造(?)しちゃいましたよ。
ゴマ・ドレッシングにおろしポン酢を合わせてタレを作り、上にはカイワレとロース・ハムのスライスをちぎったのをバラ撒く、と。

いやあ、なかなかいいタレが出来ましたよ!
ただ・・・ 麺が意外にゴッツくて、茹でが足んなかったのか、ちと胃にもたれるう。
次に、やるときは、もっと「ドたっぷり」茹でたるわい。くそ・・・
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