Walking And Walking

Lightnin’ Hopkins


03-08-13
いささか遅きに失した観はあるものの、連日の曇り空が一転、まだ衰えを見せていない夏の陽ざしが朝から地表を焙り、レーサーで移動してると腕に当たる直射日光が灼けるようだ。
こんな時なのよねー、Lightnin' のブルースが天から降ってくるのは・・・ それもチョーゆったりとしたヘヴィーなブルースで。

この Walking And Walking は、Billy Bizor のちょと小ウルサイくらいのハープに導かれ、歩むような(いや、歩いてるとしたら、そりゃもう、信じられないくらい「重い足どり」の)リズムでスローなブルースが展開されて行きます。
大体、Lightnin' のナンバーって、こんな「灼熱」に合う、ちょっと気が遠くなりかけてるパースペクティヴ(なんじゃそりゃ?)に合うヘヴィーでダウナーなブルースと、アッケラカンとまでは行かないんだけど、パワフルでアグレッシヴなブーギが多いよね。なんて、カタカナ語の使い過ぎって叱られるかも?
で、そんなコトとは全然カンケー無いんだけど、前に乾クンちで、Lightnin' のヴィデオ見せてもらった時、歌ってるとき(のヴィデオはワタシも持ってるんだけど)と違って、フダンの会話が、え?これホントに英語?っつーどえりゃあナマりでして、そっかあ、これがテキサス訛りかあ・・・ なんてヘンな感心をしちゃいました。
豊藤ずんずクンが南部を旅したときも、コトバがそーとー違ってたそーですからねえ。

Sam Hopkins( Sam はてっきり Samuel の愛称だと思っておりましたが、それで検索してヒットしたのはただ一件だけでした。信頼できそうなサイトでは「すべてが」Sam Hopkins として生まれた、となっております)は、1912年 3月15日、Texas 州 Centerville で、二人の兄の下に生まれています。
彼が 3才の時に父が死に、8才ですでに音楽への道を選んでいたようで、有名な Blind Lemon Jefferson とピクニックで出会って一緒に演奏したと言いますからスゴい。ふたりで Leon 郡の教会やビアー・ジョイント( Beer Joint )を廻っていたんだって。Lemon の後ろで自作のギターを弾いていた、と言いますから、かなりの影響を受けたんじゃないでしょか。
10代を迎えると、これも有名なイトコの Texas Alexander と一緒に Texas 州東部を演奏して歩いてたらしいんですが、なんかマズいことをやらかしたらしく(なにをやったのかは不明)Sam Hopkins が「刑期を終えてシャバに出て来るまで」中断しています。釈放されてまた組んだのですが、間もなく ALADDIN Records のタレント・スカウトに見出され、契約したことで Texas Alexander とのコンビも終ったみたいですね。
ALADDIN は Sam Hopkins にピアニストの Wilson "Thunder" Smith を組み合わせ、そのアルバムをリリースするにあたって "Thunder" に呼応した "Lightnin'" を用意し、ここに "Lightnin' Hopkins" が誕生した、っちゅーワケ。
そのアルバムからは Katie May がヒットして、おかげで1947年には彼のソロ・アルバムの計画が出てきたみたい。
1950年には音楽で自活することを夢見て(?)Houston に。1950年代に入って Lightnin' はあちこちのレーベルに吹き込んだけど、たいした商業的成功はおさめられず、時あたかもシカゴ・ブルースの隆盛とあいまって地盤沈下の憂き目に合い、Houston の裏通りでくすぶるだけになっちまったんですな。ライトニンの「冬」の時代ね。
しかし数年後、ブルースの歴史研究者によって再発見され、Folkways、Prestige / Bluesville、あるいは Arhoolie などに吹き込みを開始しています。そこでの彼は Folk-Blues シンガーであり、ジョーン・バエズやピート・シーガーなどとともに Carnegie Hall にも出演。1960年代を通して彼はどこでも(フォーク・フェスティヴァルでもコーヒー・ハウスの小さなステージででも、あるいはジェファーソン・エアプレーンやグレートフル・デッドとの共演のときでさえ)彼の Low-Down Blues のスタイルを貫きました。
ただ、カネにさえなりゃ、どことでも契約する、っちゅう基本姿勢(?)のためか、彼の吹き込んだレーベルは実に 20以上にもなります。おそらく、こんなにあっちこっちのレーベルに録音が散逸(?)してるブルースマンってのも珍しいかもしれません。そして実はこの Walking And Walking も1980年代末まで、その存在さえ知られていなかった録音が「発掘」されたものなんですよん。
Houston のプロデューサー、Roy C. Ames によって1968年の1月17日に録音されたもので、他にも Rainy Day In Houston(これもダルでレイジーでヘヴィーないいブルースなのだ) How Dooz It、Lonesome Life、Pine Gum Boogie、Got A Letter This Morning、The Stinking Foot、Good As Old Time Religionがまとめて LONESOME LIFE P-VINE PCD-2331 に収録されています。
1980年にはブルースの殿堂入りをはたしていますが、1982年の1月30日、名声と無名の両極端を経験し、最後まで強烈な個性を放ち続けた Lightnin' Sam Hopkins は、癌のために死亡しました。

どなたもご存知のように、彼の代表作と言ったら、あの有名な Mojo Hand でございますが、はるか昔、両国のフォークロア・センターってとこから Lightnin' の16mmフィルムを借りてフィルム・コンサートってのをやったことがあり、そこでギター一本弾き語りでやってた Mojo Hand にゃあブっとびましたね。左手の弦の押さえ方からして尋常じゃない!ミョーに長い指先で、いや、指の腹で軽々と押さえてるんですよ。うわっ!これだったら爪が伸びててもカンケー無えや!ってなもんでございます。
ワタクシなんぞは爪が伸びて来ると弾き辛い、ってんでシンケーシツに切ってばっかりいたんですが、ホントあれ見たときにゃあショックでしたね。しかもあっしみたく.009なんてえ軟弱ゲージなワケぁ無いんで、それをあんなに「さりげなく」押さえられるもんなのか、いやあ、しばらく考えさせられちゃいましたよ。ま、ケッキョク、真似してもしゃーない、ワシはワシ、っちゅーことでそのままで来ちゃいましたが、最近いつものセッションに爪切らないで行ったときに、試しにそのままやってみたら、うん、早いパッセージとかにゃあムリあるけど、レイジーなブルースだと、かえってフレーズに「ゆとり」が出来て、味のある(よな気がするだけ?)ギターになった・・・ コトにしておこう。

でもねえ、ショックだったのは左手だけじゃないのよ。そ、右手がまた、たしか指4本揃えて下から掻き上げるよにして、あるいは親指が低音弦をはたき、ある時は手のひらで弦をまとめて叩くよなその弾き方がまた、それまで自分がやってきたピッキングの「いかなる常識をも」ひっくりかえすよなもんでしたねえ。ああ、ワタシのこれまでやってきたことは一体なんだったのか?っちゅう根本的なギモンが立ちはだかったワケですよ。
こちとらピッキング・スピードがどう、とかピックの厚さとアタックのカンケーは、とかピッキング・ニュアンスを大切に、なんてドリョクしてきたのが足元から崩れちまいました。ううう、恐るべし Lightnin'!

そのよーなワケですので、こと Lightnin' に関しましては、ゼヒ一度、映像でも触れていただけましたら、と切に願うものでございますよん。ま、ワタクシはその後、ライトニン・ショックから立ち直り、自分なりのフィンガリングとピッキングを取り戻したのでございますが、なあに、またコロっと変わる可能性もありますので、そんときゃあ「ライトニンもどき」になってるかもしれませんて。



トツゼンMr. Gustavo Rozenbergっちゅー方からメールをいただきました。
なんと、アルゼンチンのBuenos Airesで "Good Time Blues"とゆーラジオ(あ、レィディオ?)番組を持ってるらしくって、その番組でオン・エアしますからブルースのプロモ CDがあったら送ってください、だって。
毎週金曜の夜 23時から、ちゅうんで、こっちだと土曜の昼でしょねえ。ザンネンながら FM周波数帯は電離層反射を起こさないんで、日本じゃゼッタイ聴けんと思うぞ。
ま、それはともかく、ネット・サーフィンしてて Blues After Dark に辿りついたんでしょが、ウチをなんだと思ったんでしょね?恐らくところどころに顔を出す人名やら曲名の英語表記しか理解出来ないハズなんで(送られてきたメールも、ちょっちアヤしー英文でございました)、そんな目で見ると、ウチのサイトってイッタイどー見えてんだろ?
ま、いっちゃん英字率(?)が高いのって Screamin’ Jay Hawkinsのとこだよなあ。
レコーディング・データとコード進行しか判んないと思うけど。
えー皆様のとこにも来てませんか?プロモ用の CDあったら送って、っちゅーメール。
ここ読んでいただいてる方の中でブルースの CDを製作して販売することを「ナリワイ」としておられる方はいないとは思いますが、もしおられましたら(?)協力してやってくださいませ。
送り先は

Gustavo Rozenberg

"Goodtime Blues radio program"
Nahuel Huapi 4713 8vo. "D" (1431 )
Buenos Aires - Argentina
  Tel. 0054114-524-2959
http://goodtimeblues.unlugar.com
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