Easy Money

Jimmy Johnson


03-08-15
一瞬、マーク・ノップラーのダイアー・ストレイツかいな?っちゅうサウンドで始まる Em からのブルースは、 Em-C-D-Em というパターンと、Em-G-A-C という二種類の組み合わせとなっています。
いわゆる定型スタイルからはハズれているブルースですが、イヤみのないシンプルでストレートなヴォーカルと Gibson 系のハムバッキングを「歪ませずに」出してるよな、独特なニュアンスのあるギターがなかなかアダルトなフンイキを出してますねえ。
内容的にゃあ、「ともかくいますぐカネが欲しい!必要なんだぁ!」ってゆー、みなさまもかならずや身に覚えのある世界でございます。え?無い?そらまた恵まれたキョーグーですねえ。

ただ、オープニングの和音じゃアーム付きのストラトかいな?って音なんですが、オブリになるといきなりギブソンチック(←文法的に誤りです)になるのはナゼ?あ、サイドもナゾですね。
リズム切ってる Rico McFarland の音が、聴けば聴くほど、Ovation あたりの、アンダー・サドル・ピエゾ・ピック・アップでとったエレアコっぽい音のよな気がするんですよ。だからナンだってんだ?と言われたら困るんですけど。
あと、細かくリフを散らしてるテナーは Jerry Wilson。ライトでタイトでシュアなドラムは Dino Alvarez。なんだか感情が読めない、起伏の少ないベースは Ike Anderson。音量が抑え気味なせいか、少し遠いけど、よく聴くと「さり気なく」ガンバってるピアノの Carl Snyder と、ま、そこそこみなさま健闘しておられますよん。
録音は1979年 5月6日。アルバムは JOHNSON'S WHACKS Delmark 644( Whack は「分け前」ってイミですが「殴打」っちゅうイミもありまっせ)です。

やはりこの Jimmy Johnson、ちょっとオフ・センターで味のある存在ですねえ。
だいぶ前の Byther Smith に始まり、先日の Billy Boy Arnold、そして昨日の Jimmy Lee Robinson と来たセカンド・ジェネレーション・シカゴ・スターズ・シリーズ(あ、ワタクシが勝手にそー思ってるだけで、どこでも通用しない分類でございます。現在もバリバリやっちょるニュー・ジェネレーションじゃなく、もーそろそろくたば・・・うっぷす、お亡くなりになられたり、でなくとも棺桶に片足つっこんでるあたりの世代ですね)、四番手に登場するのは、1978年に ALLIGATOR Records の Living Chicago Blues, Vol.1 への貢献が評価されてグラミー賞候補となった、この Jimmy Johnson でございます。

ただ、Jimmy Johnson という「ありふれた」名前ゆえに同姓同名の別人がどっちゃり存在し、有名な Muscle Shoals Sound のギタリストのほーの(たぶん、世界的にゃ、こっちのほーが「有名」)Jimmy Johnson、あとはウェストコーストのドラマー( VANGUARDS Records での Big Mama Thornton の録音に参加)に、戦前のピアニスト( James Johnson )、Memphis の R&B 系サックス・プレイヤー( Junior Parker に参加)、南部のハーピスト、なんてのがいて(他にも究明されてないのがいるそーです)はっきり言って、ここで採り上げたジミー・ジョンスンは「やや」旗色が悪い・・・かも?

ただ、世界的にゃそれほど名は売れてないかもしんないけど、ソロ・アルバムだってもー6枚も出してるんですぜ。
I'm A Jockey じゃ、W.C. Handy Award までいただいちゃってるんだから。いちおーあちこちのフェスティヴァルじゃトリもとってるし、それなりにやってるんですが、ま、イマイチ知名度が・・・彼は1974年に「あの」Jimmy Dawkins のバンドに加わったことでブルース・ファンにも存在を知られるよーになり、同年の Otis Rush の日本ツアーに同行しています。その後も二度、来日してますが、人気バクハツには至っておりませんねえ。
生まれは Chicago じゃなく、Mississippi 州からの流入組です。1928年生まれなんで、いまや 75才!

えー、ここでトツゼンではございますが、もーひとりの、より有名なほーの Jimmy Johnson につきましてもひとくさり述べさしていただきたい、とまあ、かように思うワケでして。(こっから先はシカゴじゃないほーのジミー・ジョンスンですよん。オマチガイなく!)

こちらの Jimmy Johnson は、有名なマッスル・ショールズ・リズム・セクションの一員であり、デュアン・オールマンやオーティス・ラッシュとも共演したギタリスト、あるいはプロデューサーとして、30年以上にわたって数々のアーティストにかかわり、マッスル・ショールズをアメリカ国内における「特別な場所」に押し上げた功労者でございます。
アラバマ州で生まれ、Florence 付近で成長したジミー・ジョンスンは10代でリック・ホールの FAME スタジオに興味を持ち、当時まだドラッグ・ストアの 2階にあって、往復 2トラックというモノラル・テープレコーダー(当然オープン・リールでげす)しか無かったそのスタジオですが、そこにいたミュージシャン、David Briggs ( kbd. )、Dan Penn ( songwrite & prod. オーティス・レディング、アレサ、パーシー・スレッジ、ソロモン・バーク等に曲を提供)そして Jerry Carrigan ( ds ) などにキタエられ(?)徐々にウデを上げてったみたい。

1962年の秋には Rick Hall が新しい大きなスタジオを Muscle Shoals の近くに建て、それを機にジョンスンはそこに就職しています。当初はセッションだけじゃなく、電話の応対から書類の整理まで雑用も一手引き受けだったみたいだけど。その頃の彼のギターはセッションマンとしちゃイマイチだったよーですが、彼の作ったバンド、the Del-Rays では、後の FAME のセッションの仲間となるドラムの Roger Hawkins が一緒でした。
しばらくして、リック・ホールお抱えだったリズム・セクションが、金銭上のトラブルからごっそりナッシュヴィルに移ってしまったため、その後を引き受けて、史上有名な「FAME rhythm section」となったのが、そのバンド、ってえことになります。

メンバーは、オルガンの Spooner Oldham、ドラムに例の Roger Hawkins、そしてベース Junior Lowe、これに Fine-Cut ギターの Jimmy Johnson。それからほぼ 2年間、地道に Joe Tex や Percy Sledge といった顧客のためにバッキングを練り上げてったんですが、そのパーシー・スレッジの1966年春のヒット「男が女を愛する時」が世に出たことにより、アトランティックの Jerry Wexler の注意を惹くこととなったのですじゃ。そしてさっそく Wilson Pickett を FAME に送り込んだっつーワケ。その結果が、あの有名な「Land of a Thousand Dances」と「Mustang Sally」なのよねん。とーぜんヒットいたしましたです、ハイ。
ここにアトランティックと FAME との固い結びつきが生まれたんですねえ。そして1967年、ウェクスラーは Aretha Franklin も FAME に送り込み、「I Never Loved a Man ( The Way That I Love You )」と「Do Right Woman」のダブル・サイド・ヒットっちゅう果実を手にすることになります。
後にはウェクスラーはリック・ホールを説得し、レコーディング後のミックス・ダウンやオーヴァー・ダブなどのために FAME のスタジオ・ミュージシャンを「場合によっては」ニューヨークまで連れて行けるようにしました。
アレサの成功によってジミー・ジョンスンはチョー人気セッション・ギタリストとなり、その後も次々と George Benson やら Wilson Pickett、そして David Clayton Thomas などのバックを務めています。
だがしか〜し!1969年の 4月、彼らの仕事に対する会社側の評価の低さ(特に金銭面やね)からジョンスンは、ベースの David Hood、ドラムのお馴染み Roger Hawkins、そしてキーボードの Berry Beckett(なんでかニホンのサイトじゃ「Barry」Beckett と間違った名前が通用してますが。中にゃ Becket ってのもあったなあ)とともに FAME を去り、独自に「Muscle Shoals Sound」をかってのボス、リック・ホールの FAME スタジオからほど遠くないところに設立したのでございます。当然、最初の顧客は Atlantic Records でした。

その後、Jimmy Johnson は Boz Scaggs や the Rolling Stones、Paul Simon、Leon Russell、そして Cher などでギタリストあるいはプロデューサーとして(時には両方)登場し、Rod Stewart や Traffic、Johnny River に Bob Seger などは Muscle Shoals まで出向いて、そのリズム・セクションをサウンドにとりこんでいます。
また彼自身もスタジオのみではなく、Otis Rush や James Taylor のライヴにも顔を出しているのでございますよ。

どーです、この華々しいごカツヤク!それに引き換え、シカゴのジミー・ジョンスンは・・・なんてえのは言ってもせんないことでございますが。にしても、書いてる立場としても、Muscle Shoals がメインならまだまだドッチャリ書くことあるんだけどなあ(これでも1/8くらいに削ったジョータイ。ま、Muscle Shoals についちゃ、サイトひとつ成立するだけのエピソードがありますからねん)。う、いやいや、それはならんぞ。これは「BLUES日記」。せっかくココロを入れ換えて、ブルース一直線(ウソばっかり)にしちょるんじゃからのう。ま、メゲずにブルースをマイ・ペースで楽しんで行きましょ。



ところで、本日、朝っからヌマどんの MARSHLANDの bbs である TREE に入れないんですよ。同じ MARSHLAND でも、他のトコはダイジョブなのにな〜。ヘンだなあ。
ま、そりはともかく、りっきーさんがウチのサイトの「25752」、つまり「o.j AWARD」を獲得いたしましたよん。
やはり雪乃さんの「17171」にはかないませんが、なかなか良い並びでございます。
きっとりっきーさんには o.j からゴーカ記念品が贈られるコトでございましょう。
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