Seems Like A Million Years

Eddie Taylor
part 2


03-08-19
お約束(?)どおり、昨日に引き続き Eddie Taylor の「つづき」でございます。BEAR 6(あ、このシンボル・マークが可愛いんですよ。サングラスかけたクマがギター・ケース提げて歩いてて、そのハード・ケースとおぼしきギター・ケースに「 BIG BEAR RECORDS 」のロゴが入ってるの)の収録曲はどれもいいんですが、ここはひとつ、ロマンチックなスローをイッパツ!

「なんだかもう 10万年も経ったような気がするな、こうしてキミと座り込んで話し始めてから」と始まる・・・え?どしたんだ、きょーはヤケにじょーひんじゃねえか、って?いやいや、ホントこんなニュアンスな気がするんですよ。イントロこそいつものアレでげすが、じっくりと女性に語りかけるように歌う Eddie Taylor の姿には気品すら感じられますぞ。
Oh, How I love you darling! っちゅーとこが胸にコタエますねえ。ワタクシもスナオにこのよーなことをヌカしてみたいものでございます。
淡々と、気取らず、ココロのサイズのありのままを歌に乗せてゆく。ややベースがゴロゴロ(?)と気ウルサイものの、ピアノもドラムも出しゃばらず、Eddie Taylor のヴォーカルを彼自身のギターが追って行きます。
ギター・ソロも時にヒラメキを見せるものの、全体によく抑えられて、しっとりとした情感(なんだか、ブルースには不似合いなコトバのよーな気もすっけど)を醸し出しとりますぞ。
彼のテクスチュアに満ちた、しかし耳障りではない、トレブリィでブリリアントなギターが虚空を駆けてゆく・・・

アップ気味のブーギで喝采を浴びた後なんかに、いきなりこの曲でシーンと場内を静まりかえらせる、なんてえ演出したらカッコいいな、きっと。

Eddie Taylor は1923年の1月29日、Mississippi 州で、Joseph Taylor と Mamie Gaston の間に生まれています。
他にも姉と弟がいた、と本人はインタビューで答えていますが、彼の三男(でも六番目)の Edward Taylor Jr.( Eddie Taylor Jr. とも呼ばれる)によれば、「兄弟姉妹はいたと思うがよく判らない(ただし、後で出て来ますが、シカゴで弟の Milton Taylor ってドラマーと一緒にやった、とする資料もありますから、それがホントだとすると、この息子の証言とは矛盾することになりますね)」と言ってたそうです。
Eddie Taylor がまだ 3才になる前に父母が別れてしまったようで、彼は Greenville から 25マイル北、ミシシッピー河から数マイルのところにあった、母のいた Benoit の農場で成長したようです。これも息子の証言では「ワシゃあ学校なんぞ行っとらん」つーワケで、バイオに書かれている、そこから学校に通いつつ働いた、つーのを否定しております。ぜんぶ自習した、と。
インタビューでも、I used to cut wood, milk cows and do all the house work; used to pick cotton too... 200 to 300 pounds a day. なんて言ってますが、それじゃ学校なんぞ行ってるヒマはおまへん。
あと、これはちょと信じ難いハナシだけど、Memphis Minnie に「子守り」された、と言ってたんだって(もち、インタビューでも語ってますよん。彼女の弾くギターがとっても良かった、って)。BIG BEAR のライナーにも載ってます。Memphis Minnie はそのヒザの上で彼のおムツを換えた、って(ううむ、おむつの取れない年齢でギター演奏の良さが判るものなのか?ナゾですじゃ)。そしてもひとつ、Robert Johnson の兄弟でギタリストの Bull Cow ってのが母に言い寄ってた、と。

ま、それはともかく、Charlie Patton や Robert Johnson なんかを聴いてたのは確かでしょう。彼が 7・8才のときには自転車を手に入れ(買ってもらったとかって記載は無いので入手の経緯は不明ざんす)それに乗って、どこであれ、ギターの演奏に触れられるとこに駆けつけたそうですが、長い時には 3・4ヶ月も帰って来なかったつーんだからスゴい!Charlie Patton を追って Stringtown から Leland そして Shaw へ。また Son House のために Robinsonville、そして Tunica ・・・もちろんガキが入れてもらえるワケゃなくて、床下にもぐりこんでまで、聞こえてくる音をアタマに刻みこんだ、っちゅーんですからスゴい!コンジョーがちゃう!
1936年、そんな彼が13才の時に母が Sears Roebuck の通販で12ドルのギターを買ってくれたのでございますよ。で、それをチューニングしてくれたのは Popcorn と呼ばれてた歌手だったそうです(と、あまし役に立ちそもないジョーホーですみまへん)。
ギターを手に入れて、これも「独学」でモノにしたようですが、息子の Edward Taylor Jr. に言わせれば「生まれついてのギター・プレイヤーだった」と。この時期、一家は Clarksdale に(ただし、本人は Stringtown と言っています)移っていますがそれによって Radio から聴くだけではなく、多くのブルース・プレイヤーの演奏に「手軽に」触れられるよーになったことがやはり彼のギターを育て上げてったんじゃないでしょか。自転車で遠くまで行って覚えてくるより、聴いたカンドーそのままに部屋に戻ってソク自分のギターでカクニン(?)出来るワケですからね。
その Clarksdaleや Leland 周辺では Big Joe Williams や Son House と交流してたようです。そして出会ったのが Jimmy Reed!ま、みなさまもご存知のとおり、Jimmy Reed がギターを覚えるのを手伝ったそうですが、後にはシカゴで 6曲の Billboard Top Ten を含む数多くの楽曲で Jimmy Reed の伴奏者として手伝うこととなります。しかし、それはまだちょい先のこと。
土曜日には街に出て、午後六時ジャストに街角で演奏を始め、集まった聴衆からの収入が一晩で 25から 30ドルになったそうです。

1943年ころには「招き寄せられるように」Memphis へ。陸軍と契約してる運送業者のとこでトラック・ドライヴァーの仕事につきます。おかげで(?)召集を免れたんだとか。Memphis では水曜日が Beale Street、そして土曜の夜は Handy Park に通い、Little Buddy Doyle( Charlie Doyle。戦前 OKEH に Big Walter Horton のハープをバックに吹き込んだ10曲がある。Sweet Man Blues など。生没年不詳)や Willie Tango( Willie Shaw。その Little Buddy Doyle の録音に参加。Allen Shaw の息子。生没年不詳)、Jack Kelly(同じく Little Buddy Doyle の吹き込みに参加。guitarist/pianist。Jack Kelly's Jug Busters から South Memphis Jug Band のリーダー。Highway No.61 Blues など。ピアノでは1952年、Jackie Boy 名で Joe Hill Louis との吹き込みあり。1905-1960 )に Willie B ( Memphis Willie Borum ─戦前からのブルースマンで Car Machine Blues ─ただし戦後の1961年録音。PRESTIGE BVLP 1048、BVLP 1055 など。Eddie Taylor によれば 1947年当時、Memphis じゃ最初にエレキを使った仲だとか。当時シアーズの通販で、ギター&アンプのセットが 120ドルもしていた! Allen Shaw ─スティール・ギター。Moanin’ The Blues ─とコンビを組んでいた。1911-196? )などの「ローカルな」ギタリストや Joe Hill Louis、Big Walter Horton などとも出会い、さらにまたギターに磨きがかかったことでしょう。

Eddie Taylor が Chicago に出たのは、そこでポリスマンをしていた父がチケットを送って来てくれたからだそうです。それが1949年のことで、TVセットの梱包と発送をする仕事につきました。
さっそく「あの」Maxwell Street に出向き、そこには同じよな「おのぼりさん」の Floyd Johnes、Moody Johnes、Snooky Pryor に Little Walter なんてのがゴロゴロしてたワケですが、そこで出会った(と思われる)先日の「BLUES日記」にも採り上げた Jimmy Lee Robinson と一緒にまず Alibi で(その時には Jimmy Lee がベース弾いて、弟の Milton Taylor がドラム、一晩のギャラが15ドルだったんだって)、後には Jake's Tavern や Club Jamboree で活動を開始しました。一説によれば、Freddie King が10代半ばで北上して Chicago に入った際、1950年ころ、まだ Magic Sam や Otis Rush によってそのプレイ・スタイルをより完成に近付ける前のことですが、一時期 Eddie Taylor とロックウッドの影響下にあったんだそーですから、それなりのプレゼンスはあったんですね。
また、Homesick James に会い、John Brim(江戸川スリムさんによると、最近、健康を害して床に臥せっているそうです。なんとか奇跡的に回復してくれたらいいんですが・・・ )と Grace Brim 夫妻とも Club Jamboree で共演しています。
・・・ というところで「お時間?」です。つづきはまた明日(か?)



今日の弘前は朝のうちの薄曇りも昼までには晴れ上がり、爽やかな風が・・・なんてヨロコんでたら、昼過ぎからは気温がグングン上昇し、通りかかったプロムナードに作られてる噴水でコドモたちがパンツいっちょで水遊びしてます!中学生らしいオンナのコたちも(さすがに脱ぎはしないけど)裾をまくり上げて水の中でハシャイでるよ。キモチ良さそ。
いやあ典型的な「夏」じゃん?陽ざしはジリジリとキツいけど、日陰に入ると湿度が低いせいか、ケッコー涼しくてウレしいざんす!こんな貴重な「光あふれる夏の日」が、あと何回くらいあるのかなあ?
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